『風の如く』

多少、分量が多目な“大河ドラマ”的な“時代モノ”の小説…紐解き始めて、何となく面白いということになると、頁を繰る手が停まらなくなり、休日等を利用して「一気に!!」という具合に読了に至ってしまう場合も在る…

↓3冊の文庫本から成る作品…或る程度、史実に依拠した内容で、史上の人物を明確にモデルとした劇中人物達が活躍する訳で…「あの件…あれはこういうことになって…」と「全く知らない訳でもない…」という内容が在るのだが…それでも、なかなかに魅力的な造形が施された各劇中人物達のことが気に掛かり、引き込まれてしまった…

風の如く 吉田松陰篇 (講談社文庫) [ 富樫 倫太郎 ]




風の如く 久坂玄瑞篇 (講談社文庫) [ 富樫 倫太郎 ]




風の如く 高杉晋作篇 (講談社文庫) [ 富樫 倫太郎 ]




↑近年の「嘗てより文字が大き目?」と思える文庫本で、各巻は厚目ではあるが…紐解けば存外に素早く読了に至ってしまう感だ…

上巻が「吉田松陰篇」、中巻が「久坂玄瑞篇」、下巻が「高杉晋作篇」と銘打たれている。何れも幕末期の長州の人達だが…各巻でキーパーソンとなるような人物の名が「〇〇篇」というように登場しているのだが…他方で吉田松陰の「憂国の激情」というようなモノが、門下でもある久坂玄瑞へ、彼が<蛤御門の変>で斃れた後は高杉晋作へと受け継がれたということを象徴しているのかもしれない…

各篇の呼称に取上げられている吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作は作中で色々とその言動が綴られ、大きな存在感を示しているのだが、本作の主要視点人物、主人公的な存在は作者が創り出した「史上の人物として伝わっているでもない、長州のとある武士」という感の人物である風倉平九郎である…

風倉平九郎は、村々の事務を扱う代官を勤めた父親が処分を受けて一家が生活に窮したことから、城下を離れてとある村で百姓同然の暮しをしていたという若者である。彼は吉田松陰の年長の友人である白井小助と出くわしたことが切っ掛けで、松下村塾に学ぶことになる。

そういうような辺りから物語が起こり、平九郎が松下村塾で出会う人々や、或いは大変魅力的な教育者で、過ぎる程に純粋な思想家であった吉田松陰の行動等が描かれるのが「吉田松陰篇」である…

吉田松陰が刑死してしまった後、彼の「憂国の激情」というようなモノは、吉田松陰の妹である文を妻としているので“義弟”ということにもなる久坂玄瑞が引き継ぐような感になる…「大物の志士」というような感になって行く久坂玄瑞だが、<蛤御門の変>へ向かって行く動きの渦中で散ってしまう…そして平九郎は村田蔵六(後の大村益次郎)に師事する等、色々と身の回りの動きがあるが、久坂玄瑞と行動を共にし、京都での戦闘に参加したが…何とか生き残る…これが「久坂玄瑞篇」だ…

<蛤御門の変>の後、<四国艦隊下関砲撃>や<長州征伐>と長州の苦難は続く。そういう中で立ち上がって行くことになるのが高杉晋作である。色々な事態を乗り切ろうとする中、長州の中での激しい内訌も発生し、それを解決するという課題も生じる。更に幕府の「長州再征」という動きの中、<薩長同盟>に関連する動きが在り、そして病を得た高杉晋作が命を削って奮戦する<四境戦争>が在る…平九郎は、松下村塾時代には兄のような存在でもあった高杉晋作と行動を共にしている…これが「高杉晋作篇」だ…

ハッキリ言って「長州の人達の目線で語られる幕末の物語」としては…本作は「最も爽やかで読み易い」というような感じがする…本作を読んでいると…作中に出て来る萩や下関を訪ねてみたいというような気分も沸き起こった…

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