『姫神』

↓書店で表紙を眼に留め…「古代の世界を背景とした時代モノ?」というように思ったのだったが…手頃な分量の作品で、何となく入手して読み始めた…そしてページを繰る手が停まらなくなり、素早く読了した…

姫神 (文春文庫) [ 安部 龍太郎 ]



↑「遣隋使」が派遣されたような時代…聖徳太子こと厩戸皇子が大陸へ使節を差し向けようとしていた中での、九州北部の宗像の人達が中心となる物語である。非常に興味深く、面白い物語であった!

この作品の中に、「宗像大社の原型」とでもいうような信仰の様子が描写されているのだが、実は一度、宗像大社―沖合の方ではなく、九州本土の社―を訪ねた経過が在る。

↓当時綴った日誌…宗像大社を求めて、かなり歩き回った件等である…
>>運行日誌:2016.11.25:「どうしようもない私があるいてゐる」…

↓宗像大社で撮った写真を使った記事も在った…
>>宗像大社の“御神木”=楢(2016.11.25)

玄界灘を往来して交易を行うというようなことをしていた人達が在り、その人達の間で起こっていた信仰が宗像大社になって行く経過が在り、祭礼等に用いられたらしい様々なモノが出土して伝えられている…

本作の物語は…遣隋使の一行を大陸へ送り届ける仕事に携わった、宗像の人達の指導者ということになる青年が隋の都に到着したという挿話の序章から起こる。そして、その遣隋使派遣が実現して行くまでのことが展開する…

本作の主要な視点人物は…宗像の指導者である“宗像君”(むなかたのきみ)の一族の娘で、巫女になって行くような伽耶や、“宗像君”の後継者ということになる青年の疾風である。

宗像の人達は、九州本土側の集落を拠点に、近在の島々との間を行き交いながら日頃の暮らしをしている。

ある日、その島に在った伽耶は、重傷を負った漂着者を見付けた。直ぐに手当てをしたいが、島の側に医術の心得の在る者が見当たらず、伽耶は島の長に断って本土側に漂着者を運び、負傷の手当てをした。

負傷の手当てを施され、とりあえず意識を取り戻した漂着者だったが、自身の素性等に関しては黙して語らない。不審な漂着者は海に追放することになるというのが宗像でのならわしだったが、伽耶は何となく納得出来ない。そうしている間に、漂着者は姿を晦ませ、人々が辺りを色々と探したが行方は判らなかった…

伽耶が出くわして助けた漂着者は何者だったのか?この出会いが、宗像を大きなうねりの中に取り込むことになって行くのだ…

「遣隋使」の構想を実現させようと、抵抗勢力の様々な妨害にも負けずに打ち込む熱い人達が在り、それに共鳴する宗像の疾風や、九州北部の水軍の関係者が在り、そういう男達の間で平和を願う可憐なヒロインの伽耶が在る。実に好い!!

一寸面白いのは…大和朝廷の人達や、彼らと接していて日本語を話す朝鮮半島の関係者は「普通の日本語」を話す。“姫様”の伽耶も「普通の日本語」だ。が、疾風達のような水軍の男達、或いは伽耶の身近に使える侍女は「バリバリな福岡弁」を話している。「古代の日本の話し言葉?」ということになるが、本作の感じは「中央や外国に対して地方」という具合なので「疾風達が話す福岡弁」が妙にハマる…

戦いを繰り広げる男達が操る船や武器、作中人物達が身に着けるモノや、細々したモノに関しては、それなりに“考証”もなされた描写で、加えて「未だに古い伝統を受け継いで、人々の立ち入りを制限している」という島も含めた自然、四天王寺のような大和側の都会や朝鮮半島や大陸の都市というような情景も生き生きとしている。本作を読んでいると、何か「7世紀頃の世界で冒険をしている」ような不思議な気分になる…

偶々ながら、なかなかに愉しい作品に出会った!!或いは…本作は「映画化?」ということにでもなれば、なかなかに華々しい作品になりそうだとも思った…

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