針路、北西!! アレクサンドロフスク・サハリンスキー!! 前進!!

「サハリンに少し長めに滞在」ということになり、「何処か、訪ねてみたい場所は?」と尋ねられる場合が生じた。そういう場合、私は「アレクサンドロフスク・サハリンスキー!」と言い続けていた…

アレクサンドロフスク・サハリンスキー…北緯50度線のやや北に在る小さな街だ。1862年にアレクサンドロフスキー哨所というモノが開設され、1881年には流刑地の中心的な町ということになった。やがてロシア帝国領のサハリンの中心的な町となって行く。1905年に50度線以南が日本領になって以降もロシア領サハリンの中心的な町で在り続け、1946年にサハリン島全土がソ連化されて行くまでは州都だった…(サハリン島全土のソ連化の際、州都は嘗ての豊原に移り、街の名はユジノサハリンスクとなった訳だ…)

アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、ユジノサハリンスクから約560㎞も北に在る。ユジノサハリンスクから訪ねるとすれば、内陸のティモフスコエとの間を夜行列車で往復し、ティモフスコエと沿岸のアレクサンドロフスク・サハリンスキーとの間はバスで往復することになる。「車中2泊」で訪ねるような場所になってしまう…

古くサハリンの中心的な町であったアレクサンドロフスク・サハリンスキーには、1890年にサハリンを訪れている作家のチェーホフも訪れている。80日を超えるモスクワからの旅をしてやって来たチェーホフだが、往路の最終行程はニコラエフスク・ナ・アムーレから船でアレクサンドロフスク・サハリンスキーへ上陸するというものだった。その後、チェーホフは北部で活動し、サハリン滞在の後半は船でコルサコフへ移動して南部で活動している訳だ…

「何処か、訪ねてみたい場所は?」ということになれば…ロシア国内の色々な場所、殊に名前は聞くが訪ねた経過が無い極東の諸都市を訪ねるようなことがしてみたいと思っているのだが、それでも「サハリンに滞在しているからには、先ずアレクサンドロフスク・サハリンスキーである!」と強く思っていた…そして漸く、「よし!週末に行ってみよう!」という段取りに出来たのだ。

段取り?列車の券を駅で求める…ティモフスコエ発のバス券を売場で求める…アレクサンドロフスク・サハリンスキーの宿に電話して1泊お願いする…というだけである…後は、とりあえず遅れないように余裕を持って駅へ向かい、列車に乗るということになる…

旅は「計画を練っている時が最も愉しい」という見方も在るのかもしれない…が、今般は交通手段の選択肢が殆ど無いという状況で、計画も何も無い…段取りは「この日に出られる?天気予報?好天らしい?行くぞ!!」というだけの話しで、上述の交通と1泊を確保したというだけだ…“計画”を通り越して、「列車に乗るのを待つ」という感である…

とりあえず…このアレクサンドロフスク・サハリンスキー訪問に関する雑感等を綴っておくようにしようと思った…

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