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↑幕末の「江戸城開城」という時期を背景とした、少し不思議な物語である。そして、何処となく「時代劇の姿をした寓話」というような雰囲気も漂う…
本作の題名…“黒書院”というのは、江戸城に在った部屋の名である。“六兵衛”は人名だ。
こういう題名を視ると…六兵衛が大活躍する主人公のように見える…が…六兵衛は主人公のようでありながら、作中ではそういう印象は薄い…必ずしも「縦横に活躍」するのでもない…
本作には、“狂言回し”とでもいうのか、物語の進行をリードする主要視点人物が1人設定されている。その人物…加倉井隼人(かくらいはやと)という…
加倉井隼人は尾張徳川家に仕える武士だ。御徒組頭(おかちくみがしら)という役目に在る。“御徒”と言えば、様々な役目を仰せつかる、上級というランクでもない武士達であるが、その“組頭”なので、現代風に言えば現場監督、主任、班長というような感じになるであろうか…
加倉井隼人は、大名家にはよく在った話しであるが、代々「江戸の屋敷で勤務する」ことを基本とする一家の者で、尾張徳川家の家臣でありながら、本拠地の名古屋には何度か訪ねたことが在るという程度で、江戸生まれの江戸育ちという男だ。この加倉井隼人は、尾張徳川家が市ヶ谷に構える屋敷の敷地に在る長屋で妻や幼い息子と平穏に暮らし、恙無く役目をこなし、時には「二日酔い?」という程度に酒も嗜んで暮らしていたのだった…
この加倉井隼人の平穏な日常が破られる辺りから物語は起こる…前夜の酒が過ぎた等と思いながら早朝の時間を長屋で過ごして居れば、御徒組頭という立場では滅多に立ち入らないような屋敷の奥の部屋に出頭するように連絡が入り、加倉井隼人は慌てて着衣を整えて出頭するのだった…
この当時の尾張徳川家では、当主の座を退いてはいるものの、実質的な最高指導者は徳川慶勝侯だった。幕府方と新政府方との争いの中、慶勝侯は早々に新政府方に立つことを決した。“官軍”である。尾張徳川家は官軍の一員として、開城が決した江戸城に人を派遣して様子を視て、開城の仕事を円滑に進めるようにする仕事をすることになったのだという。そこで…尾張徳川家の家中から、加倉井隼人が御徒組頭として、自身の組の者達を率いて江戸城に向かうということを命じられた…
加倉井隼人は、俄かに「官軍の先遣隊」の現場責任者として、与えられた官軍の西洋式の軍服に身を固めて江戸城に入り込む…
如何に尾張徳川家が幕藩体制の下で大名家としては「最高の格付」とは言っても、その家臣となれば、江戸城に入ると“陪臣”という型になり、幕臣達の前では「一段下」ということになる。更に“御徒”というものは、家中でも然程高い格ということでもない。故に、江戸城で何らかの役を持っている、“千石”というようなクラスの旗本達は加倉井隼人にとっては「雲の上」的な存在だったが、何となく対等に対応をしていた…そして加倉井隼人は、官軍の首脳である西郷隆盛と談判して江戸城の開城で合意したことから、開城に纏わる一件の責任者のような立場になっていた勝安房守に会う。
加倉井隼人は、開城に反対をする幕臣達が大勢居て、官軍の先遣隊として乗り込めば「命の危険」さえ在るかもしれないと、慌ただしい状況ながらも妻と名残を惜しんで分かれて来たが、江戸城の様子は「大きな問題は無い…」と思えて安堵した。が…勝安房守は「実は…」と一つだけ非常に厄介な話しが横たわっていると言い出した…
江戸城では“御書院番”という旗本達が勤めていた。戦時には将軍の周辺を固める騎乗の士となるが、平時に在っては将軍の身辺警護を担う。将軍が居ることの多い場所に因んで“御書院番”と呼ばれることとなった。言わば「旗本の中の旗本」が“御書院番”だ…
この御書院番の的矢六兵衛という男が居る。この六兵衛は、江戸城の開城を潔しとしない意思表示として城中で座り込んでしまっているという。勝安房守によれば、“問題”はこの六兵衛の座り込みだけなのだが、西郷との申し合わせで「腕ずく、力ずく」に排除する訳にも行かないのだという。六兵衛は手練れの剣士でもあるらしいが、犠牲も厭わずに大人数で立ち向かえば、無理にでも立ち退かせるなり、斬るなりで排除することが出来るかもしれない。それでも、「やがて天朝様(天皇)が江戸城に入る」という構想も在る以上、暴力事件や流血沙汰という“穢れ”は忌避されるというのである…
加倉井隼人は何とかしようとするのだが…的矢六兵衛は只管に黙って座り込みを続けるばかりだ…勝安房守は、幕臣の福地源一郎を加倉井隼人に紹介し、福地源一郎も“問題”の解決に協力することとなった。福地源一郎は「福地桜痴」という筆名で、明治期に言論人として知られるようになって行く人物で、外国語に通じ、国外渡航経験まで有している人物だ…
江戸城中に在る者で、六兵衛という人物を知る者は殆ど居ない。六兵衛は何かを声高に主張するのでもなく、黙って座り込みを続けるばかりで、訳が判らない…隼人や源一郎は、六兵衛という男が何者なのか、何がしたいのか、手を尽くして探って行くこととなる…
この一件の顛末?どうなるのか?というのが本作である…
同じ作者の他作品で、似たような手法が採られている例を思い出したが…本作でも「問題の六兵衛」を知り得る人物達が、視点人物である隼人や源一郎に、彼らが知る六兵衛に纏わることを語って聞かせる場面が多く在る。そういうことが重ねられながら「問題の六兵衛」に関して「とんでもない正体?!」という話しさえ飛び交って行く…
二世紀半も維持された原理原則が捨て去られようとしている最中、原理原則を或る意味で体現したかのような、正体不明の不思議な男である六兵衛…「無言の座り込み」という“行動”が、間近で見守り続けることになる隼人達の心を揺さぶって行く…
何か「幕末奇譚」というような妙な物語なのだが…長く維持された原理原則が捨て去られ、過去の成功体験が陳腐化し、何処となく自信が欠けたような感じの「江戸城最後の日々」に関して、漠然と「現代に通じる?」というような気がした…そういう中での六兵衛の奇怪さ…「時代劇の姿をした寓話」という雰囲気を感じた所以である…
本作はじんわりとした余韻が残る作品だった…


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