そんな街を好天の中で歩き回り、<酒蔵通>と名付けられた一帯に至り、辺りの様子を視てみた。
↓こういう場所に至った…

↑<白鷹>という銘柄…申し訳ないが、個人的には馴染みが薄い銘柄だ…しかし、西宮の老舗で、伊勢神宮で使われる酒を造っているのだという…
この<禄水苑>は、<白鷹>が営んでいる売店、資料館、そして利用はしなかったが飲食店から成っている。ここの売店や資料館を興味深く視た…
↓入口を入った辺りの売店の奥、資料展示が在る方への通路に、趣深い提灯が在った…

↓この<禄水苑>は、中庭が一寸素敵だった…

↓こういう“伝統”が滲む老舗の看板…好い!

↓大き目な模型を使って、<白鷹>が興った時代の「樽廻船」を紹介していた…

“灘”は江戸時代になると、大消費地の江戸に向けて商品の酒を送り込む際、「船を使い易い」という意味で畿内各地(今の言い方では関西各地)の酒造業が盛んだった各地よりも有利だった。そういうことで売上が伸び、生産も伸びて行った…
船で江戸へ商品を送る場面で、当初は“菱垣廻船”と呼ばれた、大坂周辺の色々な貨物を集める船に灘の酒も積まれていた。しかし、他のモノと混ざることで荷役が煩雑になってしまったり、余分な輸送時間を要してしまうようになってしまっていた。そこで、「灘の酒」というような、樽詰めの特定のモノに貨物を特化した“樽廻船”というモノが登場した。灘の酒造業者達は、その“樽廻船”で商品を江戸等に送り出していた。
<白鷹>は1862年に起こったという。江戸時代の終わりの方になる。既に、江戸時代の期間を通じて発達してきた物流システムが“完成”の域に達していたような時期だ。その時代であれば、<白鷹>の創業者達は、造った酒を専ら“樽廻船”で江戸等に送り込んだことであろう…
↓西宮が戦禍の影響を受け、街が再建されて行くような昭和20年代頃まで、現在の<禄水苑>辺りが名実共に<白鷹>の本拠地で、蔵や店、創業家の御一家が住む住宅も在ったということで、精密な模型でそういう様子が紹介されていた…

↓<禄水苑>の資料展示には、創業家に伝わる生活用具等、「昭和の頃までの家族、家庭生活」を伺わせるような展示が在り、これが「他所には余り無い?」感じで興味深かった…

↓関係者の皆さんが使っていた半纏…現代では、社名ロゴを入れた作業ジャンパーか何かが出て来るところであろうが…こういうモノ!何となく好い…

↓売店でカップ酒を求めて、中庭でゆったりと頂いてしまった…

↑スッキリと美味い吟醸酒だった…つい“広告風(?)”に写真を撮ってしまった…
↓非常に雰囲気が好い中庭が、本当に気に入った!

ふらふらと歩いて出くわし、何となく入った<白鷹 禄水苑>だが、灘の酒造、酒蔵に携わった人達の歩みが判る展示が好く、建物や中庭の感じが好い、「お奨めな立寄り場所」という感じである…
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