↓2010年12月22日に撮影していた写真である…

↑南海の堺駅から10分少々歩いた場所だった…
今般、“帰国”のフライトに登場する前日は大阪の天王寺に泊り、阪堺の1日乗車券を駆使して沿線を巡って楽しみ、堺から列車で関西空港に向かうことを思い描き、実際にそのようにした。
なかなかの好天に恵まれ、阪堺の1日乗車券を駆使しての沿線巡りも愉しいものだったが、「そろそろ空港へ向かう列車を…」と思いながら、大小路停留所から堺駅へ向かう道すがら、「2010年に堺に立寄っていて…その時に視ている…」と幾つかの記憶に残るモノに気付いた時に思い出した。「駅からそう遠くない場所に、古い灯台がモニュメントになっている場所が!」とである。頭の中を巡っていたのは、上記の2010年撮影の画だ…
堺は“政令指定都市”ということで大きな人口を擁しており、大阪から堺を経て関西空港までは列車運行本数も十分で、「フライトに間に合わない!?」ということも無いと思ったが、一応「遅れないためには、この列車に乗れば…」を駅で確認した後、記憶を辿って灯台を目指した。
何時の間にか、前回訪問は「5年近くも以前」となっていたので、どういう経路を辿って灯台に至ったのかが、頭の中で曖昧模糊としていた…概ね一日を通じて蒼天に輝いていた太陽は、西寄りの空に大きく傾き始め、空の色はグラデーションを帯び始めている…高速道路へ通じる経路になっているような、妙に交通量が多い箇所も在って、何やら行ったり戻ったりを繰り返すような始末で、少々苦戦してしまった…
「ここまで至って…無念の撤退で駅で列車に乗るか?」と思い始めた時…
↓「在ったぁ!」と内心で快哉を叫んだ…

↑これが<旧堺燈台>である…
この灯台の位置は“旧港”の端に相当するという。1877(明治10)年―西南戦争の在った年…―に、堺市民の寄付や、当時の堺県からの補助で建てられたものであるという。以降、この場所で1968(昭和43)年―札幌医科大学で日本初(世界30例目)の心臓移植が行われたり、<プラハの春>に関連する「チェコ事件」等、多くの出来事が在った年…―まで稼働―91年間に及ぶ…―し続け、周辺の埋め立て等で灯台としての機能が損なわれてしまったことから、港の歴史を伝える記念碑のようになって現在に至っている。2000年代の初めに、老朽化が著しかったことから修理を施しているという。「現地に現存する木造洋式燈台」としては、国内最古のモノの一つで、1972(昭和47)年に国指定史跡に指定されたのだそうだ。灯台の高さは12mとのことである…
“旧港”の端に相当というが、灯台を視て左側に高速道路の高架の一部が見えて、遥か彼方に港湾施設が拡がっているように見える…随分と積極的に港を拡大して行ったという歴史に気付き、少し驚く…
↓昔は「“灯台”というのは、こういう感じ」というデザインであったのだろうが、現在眼にするモノとは少し違い、何か非常に個性的で美しく見える…

↓次第に西の空が染まって来る中、独特な形状が浮かび上がる…

この日、辺りにはカメラを手にした写真好きな人達の姿が見受けられた。私自身、この場所を訪ね易い場所にでも住んでいれば、相当な頻度で立寄って写真を撮るであろうと思う…日が相当に傾き、沈んでしまった後辺りには空の色が劇的に視える…そんな状況を眺めてみたいとも思いながら、「そろそろ駅へ行くべきか…」と思える時間帯に差し掛かり、「後ろ髪引かれる」という思いで、ここから辞去したのだった…
↓旧堺燈台の様子を含む、10月31日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 31, 2015
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