『山頭火随筆集』

“山頭火”と言えば…

↓旭川のラーメン店を思い浮かべる方も在るのかもしれないが…

↑(2014.12.22撮影)

ここで話題にしたいのはラーメン店ではない!俳人の種田山頭火(1882-1940)である…

↓或いは「種田山頭火?」という問いに答える「格好の入門書」に出逢うことが叶った…

山頭火随筆集 [ 種田山頭火 ]



↑232ページの、実に手軽に読める文庫本である…興味深く読了したところである…

種田山頭火は、“自由律俳句”と呼ばれる独特な句を多く残しているが、その作品を選んだモノ、同人誌等に寄せた文章、「行乞記」と呼ばれる旅の記録の抜粋、編者による彼の人生や文学の解説と詳しい年譜が盛り込まれた一冊だ…

この「実に手軽に読める文庫本」でありながら、豊富な内容を詰め込んで、“漂白の俳人”の作品や人物を紹介する「格好の入門書」に出くわすまでには、些かの曲折が在った…

“明月ブランド”の焼酎と出くわして気に入ったという些細なことから、酒造会社の在るえびのという土地を訪ねてみようと思い立った。そんな時、各地を巡った種田山頭火がえびのにも足跡を残していて、彼が残した文章に“藷焼酎”という表現で本格焼酎に言及していることから、「漂白する山頭火」のイメージの焼酎をシリーズで出そうと酒造会社が計画していることを知った…

「種田山頭火?」と記憶の糸を辿った。数多く存在する「名前を聞いたことが在る他方、作品を真面目に読んだことがない…」という文学者の一人であるのだが…一寸引っ掛かった…と言うのは、中学生の頃に視ていた記憶が在るテレビドラマの中で“山頭火”という台詞が在ったのだ…

その台詞の中で“山頭火”に言及されたドラマ…学園ドラマである。苦労人で異色の経歴を持つ中学校の先生が、赴任して担任したクラスの「悩める生徒達」と真摯に向き合って、次第に彼らと心を通わせながら、彼らを導くという物語である。働きながら大学に通ったという先生が、学生時代から愛しているのが種田山頭火で、先生の話しの中でその作品等への言及が在る。地味と言えば地味だが、好く言えば重厚な感じで、「誰しもが“自分”を確り見詰めて、自身の人生を拓くのだ」と真摯に説く先生が好かった…先生役はかの川谷拓三―あの風貌や、醸し出す雰囲気が「苦労人で異色の経歴を持つ先生」というのにピッタリで、例えば第一志望校の受験に失敗した生徒に「挫折の無い人生は無い…」と語り掛けるような場面や、他校の番長グループが乗り込んで来た時に「貴様ら!」と彼らに対峙して、自校生徒を護ろうとする辺りの雰囲気が凄く好かったのを、未だに何となく覚えている…―で、ドラマは『3年B組貫八先生』という題だった…

それから…幾つかの山頭火の作品を知ったが、「どうしようもない私が歩いている」という句が妙に気に入った。何時、何処で、どういう状況で吟じられた句なのかは判らないが、自身が歩き回っている他方で、遠くからか、または上空からか自身を眺めるかのように「どうしようもない私が歩いている」と言い放ってみる境地…何か強く惹かれてしまった…

旅に出る以前にそんなことも在ったが…旅に出てみて、種田山頭火を思い出す切っ掛けにもなったえびのに至り、雪の中を歩き始めれば、次第に降雪が激しくなり、緩急の変化は在ったものの延々と降り続き、「歩いている人間は自分だけ?」というような感で雪を被った田の真中を進んでいた。そんな時に「どうしようもない私が歩いている」という、覚えて日が浅い山頭火の句が思い出された…

そういうことが在って、「もう少し、この種田山頭火を知りたい…」という想いが頭の中に湧き上がり、暫らく残っていた…

少し長くなったが、これがこの「格好の入門書」に出くわすまでの曲折である…便利な世の中で、大きな書店ではやや要領を得ずに探し損なった本も、ネット通販で易々と視付けてしまった…

昔視たドラマの、山頭火を愛するという先生が「挫折の無い人生は無い」というようなことを語っていたことを思い出したが、山頭火の人生は挫折の連続のような感かもしれない…

村の豊かな家に生まれるが、少年期に母が他界する…文学を志して東京の大学に進むが、体調を崩して退学してしまう…郷里で結婚して息子も設けるが、実家は事業に失敗して破産し、知人を頼って熊本に移る…熊本では小さな古書店、後に額縁を主力商品にする店を開き、そちらは何とか軌道に乗せた。他方で文学への思いを絶てず、東京に単身で出てみるが、関東大震災後の混乱で不穏分子と誤認されて投獄という酷い経験をする。熊本に帰り、酒に溺れるかのようになり、酔って倒れていたところで寺に保護される。やがて出家して僧侶となる。妻子は熊本の店で何とか暮らしを立てていた中、山頭火自身は“行乞”と言って、金や米を托鉢で集めて生きながら旅をするという生活に入る。

極々大雑把に言って、上述のような生涯の中で、山頭火は同人誌等に寄せる随想や自作句を色々な型で発表している。最期は、住んでいた草庵に友人達が集まって、「呑んだから酩酊…」という状態で勝手に休んでしまって、友人達と挨拶もせずに別れた後…早暁に亡くなってしまっていたのだという…

漂白と句作…何かかの芭蕉以来、色々な俳人の生涯を連想させるような感だが…“自由律俳句”と呼ばれる「丸出しの主観」と言うのか、「自身の様を遠くから眺めるかのように描写する」という感じが独特である…

一通り読了した本だが…手が届く辺りに置いておいて、時々その句を読み味わいたい感である…

本書に収められた「行乞記」の抜粋だが、南九州を巡った記録である。自身でも動き回ったことが在る地域を含んでいるので「昭和の初め頃…あの辺りは?」と想像を膨らませながら愉しく読了した…

ところで…山頭火と“藷焼酎”(彼が文章の中で用いた用語だが、芋の本格焼酎のこと。敢えて“いもしょうちゅう”と書いている箇所も見受けられた…)だが…綴ったものを読む限り、「お気に入り」ということにもならなかった様子だ。山頭火にとって、“酒”は第一義的に清酒だったようだが、南九州辺りでは清酒が高価なので“藷焼酎”を求めたようだ。多分、現代で言えば「昔風」を謳う、やや濁っている場合も在るような、材料由来の香がキツめな代物をストレートで「呷る」ように頂いたのだろう…そんなことを考えながら…山頭火の足跡も残るえびのから取寄せた<黒明月>をお湯割りで頂いている…

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