杵築の街(2014.12.16)

2013年12月に九州を訪ねた折には、福岡空港到着後に博多駅に出て、<かもめ>に乗車して長崎へ向かった。“西回り”である…

そういうことを記憶していたので、2014年12月に九州を訪ねた折には、福岡空港到着後に博多駅に出て、小倉方面への普通列車で動き始めた。“東回り”である…

“東回り”で何となく動き始めて、「<青春18きっぷ>を手に、普通列車で日豊本線を南下」ということを思い立ち、12月16日は早朝の小倉駅から出発した。

小倉から中津で道草して辿り着いたのは杵築だ…

↓杵築駅も、何か昔風な駅舎である。大分・博多間の特急列車と、普通列車が停車している。列車が着く都度に、存外な人の出入りも見受けられる…

↑九州方面では、12月半ば辺りから門松を飾るものなのだろうか?この駅でも門松を見掛けたが、他にも何箇所かで出くわした。門松…北海道内でも見掛けるモノと、微妙にデザインが異なるような気もした…

“杵築”と書いて「きつき」と読む。古くは“木付”と書いたそうだ…同じく「きつき」と読む。

辺りは豊後の大名だった大友家の縁者でもあった木付家が領していた。大友義統が1593(文禄2)年に豊臣秀吉によって改易されてしまうと、木付家も辺りの知行地を失ってしまった…

関ヶ原合戦後、豊後は細川家の知行地となるが、細川家が肥後に移った後の1632(寛永9)年、豊後には小笠原忠真が封じられて小倉上に入り、その弟の小笠原忠知が4万石の大名に取り立てられて“木付”に入る。

1645(正保2)年に小笠原忠知が三河に移り、豊後高田から松平英親が3万2千石の大名として“木付”に入る。以降、この松平家が明治維新までこの地を知行地としていた。

江戸時代の大名は、“代替わり”をする際に、代々受け継いでいる知行地の権利を認める旨を記した“朱印状”という文書を幕府から受けることになっていた。1712(正徳2)年に松平家が朱印状を受けた際、朱印状に「杵築」と記された。“木付”としていた以上、“杵築”は誤りである。そこで「如何致しましょうや?」という話しになり…「以降は“杵築”と致すが好い」ということになった。爾来、この地の地名は“杵築”とした訳だ…

「誤記が転じて、その字を使うことにしてしまった」という、一寸面白い挿話を思い出しながら、杵築駅前から歩き始めた。杵築に着いた辺りで、俄かに晴れた空が拡がり始め、心地好い感じでもあったのだ…

駅周辺には杵築の城下町方面への道筋が判るような標識類は見当たらなかったが、何となく駅前の案内図を視て進み始めた。何となく眼が合った近所のおじさんに「城下町…こちらの方角ですよね?」と問えば…「そうや…真っ直ぐや…」とおじさんは言う…「ありがとうございます」とまた進み始めると…「かなりあるで!!」とおじさんの声が背中側から聞こえた…

大分県辺りの方…私の耳には「若干“関西”風」と聞こえる抑揚と言葉の使い方で話しをされるようだ…おじさんの口調を思い出しながら「真っ直ぐや…」の道筋を進んだ。20分やそこらであれば、別段に苦にせずに歩いてしまおうと思っていたが…20分近く歩いた辺りで「杵築市街 3㎞」という標識を見付けて驚いた。「夜まで日豊本線を南下して」という思惑の中、この距離を歩き切るというのでは、時間が無い…するとバス停が在った…数分待つと、市街側へ向かうバスが現れることが判った…

↓バスで市街に至った。そして杵築城址を目指し、城址に至った…


↓城址辺りは公園になっていて、なかなか美しい…紅葉した木も在った…


城址辺りに至ると…「強風が時々吹き抜ける中で、若干強めなにわか雨」という、些か妙に思える天候状態が断続するようになった…上着にフードが在ったことを思い出し、それを引っ張り出して頭に被るなどしてやり過ごした…

杵築の城下町は少し独特だ。城の傍に丘陵状の地形が並んでいる。2つの丘陵の上の側が武家屋敷で、谷に相当する辺りに商家等が集まるという具合に城下町が築かれている。“サンドイッチ状”とでも言うような構造だ…

↓時々「強風が時々吹き抜ける中で、若干強めなにわか雨」という状態に付き合いながら、「坂の町」を歩き回ってみた…


↓坂の上に相当する部分に、「如何にも…」という具合の武家屋敷が見受けられた…


↓衣装に身を包んだ俳優が一寸動き回れば…そのまま時代モノの映画やドラマの一場面が出来上がりという感じの箇所が多く見受けられる…


↓眼前に下り坂で、下り切った辺りから上り坂が見える。“サンドイッチ状”に街が開けている様子が判る…


↓商家等が在ったエリアには「伊能忠敬の足跡」を伝える石柱が在る建物も見受けられた…


杵築の市街から駅まではタクシーで戻った。タクシーの運転手さんによれば、市街・駅の距離は5㎞程度ということだった…

今般は、「強風が時々吹き抜ける中で、若干強めなにわか雨」という状態に多少の苦戦も強いられたが、なかなかに個性的な街並みが記憶に残る杵築である。

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