中津城(2014.12.16)

立寄る先に“○○城”というようなモノが在ることに気付くと、「時代モノ好き」としては少々気に掛かる…これまでにも“○○城”というような場所については、色々と訪ねてみた経過が在る…

日豊本線の沿線には、その“○○城”という場所が多々在ることに気付く…福岡県北東部沿岸から大分県の沿岸部に“○○城”というものがずらりと並んでいるようにも見える…

現在では、自動車が行き交う道路も在れば、今般の旅で利用した日豊本線も在って、福岡県北東部沿岸から大分県の沿岸部は往来も容易だ。しかし…実際にゆっくりと車窓を眺めながら日豊本線を動いてみて思ったが…大分県の沿岸部各地は「深く入り込んだ入江に山が迫る」ような地形の場所が連続していて、城が設けられた町と町との間を往来するような場合には「寧ろ船を出す」というような具合で、城の設けられた辺りからは、そこから内陸側に在った各集落との間で人やモノが盛んに往来していたというような状態だったのかもしれない…現在では“大分県”で一纏まりだが、嘗ては豊前国の一部と豊後国であった訳で、各国内の郡に関しても、交通事情で相互の繋がりは想像以上に薄かったのかもしれない…

色々と思うところは在ったが…小倉から列車に乗って、日豊本線の南下を始めると…或いは最初に現れる、多少目立つ“○○城”は中津城ということになる。加えて…小倉からの列車に関しては“中津行”も存外に目に付く…私が乗車した列車もその“中津行”であった…中津で、一寸駅を離れて、城を眺めに行ってみるというのも、「日豊本線を南下する途中の道草」としては、なかなかに好いように思えた…

中津駅から歩いて、何となく見掛ける案内図等を頼りに、中津城に至った…

↓「大きい!」というイメージではないが、何か美しい型の建物が目に留まる…


中津城というのは…1587(天正15)年に豊前国内の知行地を豊臣秀吉から与えられた黒田官兵衛(孝高)が、翌1588(天正16)年に、交通の便が良い河口部であり、知行地の中心辺りに相当するということで中津に築き始めた城が起源ということになる…

黒田家が福岡へ移った後、細川家が豊前に知行地を与えられ、中津城は細川家が手を入れている。やがて細川家が熊本に移ると、小笠原家が中津城に入り、与えられた一帯の知行地を治める。1717(享保2)年に至り、小笠原家に代って奥平家が中津城に入った。以降、明治維新まで、中津城は奥平家の居城となる…

↓最も目立つ建物だが…これは1964(昭和39)年に建てられた模擬天守とのこと…

↑辺りに櫓が設けられていたことは確かなようだが、中津城に天守閣が在ったか否かかは定かではないようだ…

城に関しては、天守閣のように壮麗な建物が目を引くのだが…実は“城”としては「防衛陣地としての構造」(“縄張り”と呼ばれる全体の配置や、地形を利用するか、石垣のようなものを築く等している「侵入する敵への備え」)がより重要であり、また「領主が居る場所」である以上、“領主の公館”であって「領内の治世を司る仕事が行われる政庁」という機能を担った、“御殿”と呼び習わされたモノの方が重要かもしれない…

↓そんなことも思うのだが…この模擬天守…なかなかに美しい…


中津城は、堀に海水が引き込まれているらしい…恐らく、海の干満で堀の水量も変わるのだと想像する…

↓立ち寄った際には「やや堀の水量が少ない?」とも思ったが…堀と石垣が設けられていて、石垣の上に建物が在ると、凄く「城らしい」感じだ…


↓設置された自販機に、城の写真が使われているのが面白いと思った…

↑「未だ早朝」という時間帯に立寄ったので、模擬天守の建物内に設けられた資料館のオープン前で、資料館に立寄ることは叶わなかった…

最近は「“大河ドラマ”縁の…」という観光振興宣伝が定番化、常態化しているように思えるが、その一環でもある「黒田官兵衛縁の…」というような宣伝は、中津でも随分と見掛けた…

中津城の跡は、明治期以降は行政関係の庁舎として利用されたり、学校関係の建物として利用されたり、西南戦争の時期に戦災に遭うというような色々なことが在った様子だ…

一つ記憶に留めたいのは…美しい模擬天守が見える辺りに通じる街路に、「嘗ては城内の一画で、重臣の屋敷の門であった」という場所が在って、その“門”が地元小学校の校門になっていたことだ…

大勢の小学生が登校するような時間帯に辺りを動き回っていて、撮り悪かったので門の写真は撮っていないが…「ここの小学生…酷く立派な門を潜って毎日登校しているな…」と様子を眺めながら「駅の側へ引揚げよう…」と進んで行くと…「おはようございます!」と元気に挨拶をしてくれる小学生諸君と次々に擦違った。言われれば…思わず「おはようございます!」を返す訳だが…そんな道筋には、地元のおじさんやおばさんが、紺色のユニフォームに身を固めて、“交通安全指導”というようなことで横断歩道辺りに立って、登校する小学生達と挨拶を交わしながら様子を見守っていた。

旅先で偶々見掛けた小学校近所の様子…小学生達の登校風景だったが…地元のおじさんやおばさんが見守る中、私自身のような「通りすがった人」に挨拶の声を掛けるような小学生達…という様子に出くわした…「何となく温かい感じがする街だ…」というように思った…

そんな街で、街の歴史を伝える城址…記憶に留めたい…

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック