鹿児島・仙巌園:島津義弘公着用甲冑(複製)(2014.12.18)

↓鹿児島中央駅前からこんなバスに乗る…これは鹿児島市営交通の“1日券”で利用可能なバスだ…

↑市内の主な名所を楽に回ることが出来るこのバス…私にとっては「鹿児島のお気に入り」でもある…

何気なくバスに乗り、城山で眺めた「桜島が冠雪している様」が素晴らしく、「今日はこの絶景を愛でて、夕方は屋台村でゆっくりしよう…」というように考えた…

城山で言葉を交わした売店を営んでいる方によれば、「12月に冠雪するのはやや珍しい」ということでもあり、「であれば…“桜島が浮かぶ風景を愛でる”という島津侯の想いで築かれたという<仙巌園>辺りを訪ねるのが善さそうだ…」と考え、城山で再びバスに乗車した…

島津家の別邸でもあった仙巌園…錦江湾を池に、桜島を築山に見立てた、庭園と建築群…加えて<尚古集成館>という資料館も在る。直ぐ傍の海岸も、なかなかに風景が好い…

そこをバスで訪ねると…

↓入口でこういう厳しいモノが来場者を迎えてくれる…

↑入場券を求めて入る辺りに鎮座している…

↓少し引くと、こういう感じだ…

↑島津義弘公が着用したという甲冑の複製である…(戸外に置いて在るので、“本物”とは考え悪いが…“本物”なら、資料館のような場所の屋内で厳重に管理する筈だ…)

島津義弘(1535-1619)?戦国時代末期、弟達(歳久、家久)と共に兄の義久を助けて活躍した武将である。色々な挿話が伝わる人物だ…

後年、兄の義久に後継者が無かったことから、息子の忠恒を兄の養子とした。忠恒は徳川幕府体制下での“薩摩藩”を興したことになるが、彼は同名の叔父が在るにも拘らず、「徳川家康の偏諱を賜る」ということで家久を名乗るようになっている。

こういう具合に「“薩摩藩”を興した家久」の実父であることから、島津義弘の事跡等は当主だった島津義久の事跡以上に喧伝されている面も在るのかもしれない…

島津義弘の即席だが、現在の鹿児島県内に留まらず、“真幸院”と呼ばれていた現在の宮崎県えびの市辺りにも残っている。勢力拡大を図っていた彼の時代、島津義弘はその先頭に立っていた感が在る…また、“対豊臣政権”の問題で、色々と苦労をした人物でもあり…更に…関ヶ原合戦の挿話も有名だ…

そういう色々な事情で…「昔の島津家の武将」とでも言えば、真っ先に名が挙がるような存在感を持つのが、島津義弘だ…

↓この甲冑とは…2回目の対面となった…


今回は好天に恵まれ―「好天!!」と視て訪ねるような場所かもしれないが…―た中で仙巌園を訪ね、何か鮮烈な印象が残った…

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