明治期以降、長崎県各地でキリスト教の信仰を受け継ぐ人達等が、祈りの場となる教会の建築を目指した。人々の想いが結実した、“天主堂”と呼び習わされることになる教会は各地に登場した。その一つが田平に在る…田平天主堂だ…
こうした「西海の天主堂」というような各地の教会建築について、太宰府の九州国立博物館で上映されていた「文化財紹介の映像プログラム」で視て感心していた翌日に田平に至り、そこで「田平天主堂→」という看板を偶々視掛けた…
こういう「タイムリーな発見」は行動に直結する…「昨日の映像で視た田平天主堂?行くぞ!!」と後先を考えずに歩き始めた…
“平戸の瀬戸”を渡る風がやや冷たく、「ひんやり感」が若干強いように思え、多少雲も多かったが、雨は降っていなかった。降雨にやや悩まされていた旅の中、「雨が降らなければ、歩くのは苦でもない…」と元気よく進み始めた。
当初…何やら丘陵状の地形になっている辺りを少しばかり上がって、少し進むとか、「一寸先の枝道を一本入って…」というような場所に田平天主堂が在るものだと勝手に思っていたが…「多分、数百メートル…もう10分近く矢印の方向に歩いたが?」と思い、何処かで案内看板を見落として見当違いの方向に進んでいるのかという不安も覚えたが…また「田平天主堂→」の看板が現れた…“2.1km”と距離が記されている…最初は“km”と在ったかもしれないが、“m”と視たか、或いは「タイムリーに興味深いモノへの道筋…これは好い!!」と気持ちが逸って距離表示を見落としてしまっていたようだ…
「要は…往復で1時間とか1時間半歩く…許容範囲か?例えば天候の好かった12月15日は長崎に居て、歩いた時間は相当なものだった筈で…大丈夫であろう…平戸だの田平だのと、“次の機会”は望めないかもしれない…行くぞ!!!」と考えて前進した…
進んだのは。丘陵の地形に沿うような、カーブを描いた緩やかな上り坂だった…周辺は、何かの畑や林が見受けられる…日が落ちてしまったら真っ暗になりそうな状態だ…バス停が在ったので、発着時刻を見てみたが…何やら1日に指折り数える程度の運行で、当分バスは動かない感であった…
何か、本当にこの道で好いものかと心細さを覚えた…そうしていると、風に流れる雲が割れ目を作り出し、割れ目から光が射し込む様が上空に見えた…「“御導き”というようなことか?」と思った…そのまま進めば、地元の農業高校らしいが、大きな建物やグランドという「学校らしい」モノが眼に留まり、何やらグランドでサッカーをやっている少年達が居た…正直、そこに至るまで2台か3台の車が通るのを視掛けた程度だったので、何か妙に安堵感のようなものを覚えた…そして!!「田平天主堂→」の看板が現れた…“900m”…近い!!
丘陵の地形に沿うような、カーブを描いた緩やかな上り坂という道を歩む歩調が少し早まった…もう少しで田平天主堂が…
↓思っていると、田平天主堂は堂々たる姿を現した…
↑丹念に煉瓦が積み上げられた天主堂…「凄い…」と感嘆の声が漏れた…
田平の瀬戸山…明治期に入って、各地からこの地に移り住んだ人達が開墾を行っている…その各地から移り住んだ人達の中に、長崎県内各地のキリスト教を信仰する人達が在った。この信徒達の祈りの場となる教会が建築されることとなり、各地の教会建築で活躍した鉄川与助が、この田平での仕事を行うことになる…
鉄川与助とは、長崎県内で活動したド・ロ神父から教会建築のこと等を学んだという棟梁だ。現在も五島の各地に残る“天主堂”、そして田平天主堂や方々の教会建築を手掛けた人物だ。自身がキリスト教の熱心な信者ということではなかったそうだが、人々の熱い想いを受け止めるような立派な建築を多く遺している…
田平天主堂は1916年に着工し、1918年に完成した。地元の信徒達を指導した中田藤吉神父が中心となり、多くの人達の勤労奉仕も在ったという。田平天主堂は煉瓦造だが、煉瓦を接ぐ材料として石灰と赤土を混ぜた“アマカワ”を用いている。その“アマカワ”に使う石灰は、中田神父や信徒達が貝殻を集め―自分達で消費したモノを集めた他、近隣の街で回収したという…―てそれを焼いて造ったのだという。
↓鉄川与助が手掛けた煉瓦造の建物としては後期の作になるというが、“傑作”と言われているそうだ…なるほど、見蕩れてしまう建物だ…
↑多くの人達が想いを込めて用意した“アマカワ”で、丹念に積まれた煉瓦を接いでいるのだが、瓦に十字架を入れるなど、細部も凝っている…
↓上空の風が強めであったのか、雲が流れて極短い間だが青空も覗いた…
↑祭壇に相当する部分の裏側である…見事に「欧州諸国で見受けられる様式」が容れられている…
↓正面の鐘楼…
↑非常に重厚だ…
管理事務所的な感じの休憩所が在り、流石に身体が冷えたので多少温まらせて頂いた…居合わせた係のおじさんと言葉を交わしたが、冬季にたびら平戸口駅から歩いてやって来るというのは珍しいらしい…私にしてみれば、汗をかき難い冬だから歩けたのであって、暑い夏季なら途中でダウンしてしまったことであろう…また近年は、観光バスが立寄る場面も増えているそうだ…
この田平天主堂は、公式には「カトリック田平教会」と言い、現在も信徒達の祈りの場として普通に機能している…丁度、そうした関係の催事と縁が薄い時間帯と曜日に折りよく御邪魔した型である…
一頻り見学した後、また平戸大橋が見えるような、バスの運行も多そうな辺りを目指して歩き始めた…
↓振り返ると、雲の切れ間から天主堂に光が降り注いでいる…
この日は、何か「極々小さな巡礼の旅」でもしたかのような、不思議な気分だった…或いは微妙な昂揚感のようなものを感じた…更に言えば…「北の、地の果て」から「西海の地」に辿り着き、天主堂へ至る道を歩いた経験は、今般の旅の“ハイライト”だったかもしれない…
静かな丘陵に堂々と佇んでいた、巨大とまでは言い難いものの、十分に大きく、多くの人達が思いを込めて煉瓦を積み上げて接いだ天主堂に、薄暗い冬の空から光が差し込んだ様…これが忘れられない…
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