“長崎奉行所”(長崎歴史文化博物館)(2013.12.15)

豊かな歴史を誇る街には、街の歩みや、地元に伝えられている貴重な文物、更に“企画展”というようなことで普段は公開しないモノを展示したり、他所から借りて展示していたりということまでする博物館が設けられていることが多い。

長崎もまた豊かな歴史を誇る街で、立派な博物館が在る。それが「長崎歴史文化博物館」である。

江戸時代の長崎は、当時の政策の中で非常に限られていた「国外との窓口」の一つであった“出島”が在ってオランダ船が来航し、清国人が出入りしていた“唐人屋敷”も在って交易も行われていた。そうした重要地域で、幕府が直轄していた町なので、幕府は旗本達の中から選任した“長崎奉行”を送り込んで行政事務や貿易統制に係る事務等を進めていた。

その“長崎奉行”と、奉行に選任された旗本の家臣達と地元採用の人達から成る役人達が仕事をしていた役所が“長崎奉行所”である。実は「長崎歴史文化博物館」が建っているのは、その“長崎奉行所”が在った場所である…

↓博物館は非常に立派なモノであった。
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↑路面電車の停留所“桜町”から緩い坂道を上がるように進むと、石垣で囲まれた、古い城を思わせるようなモノが在り、それが博物館の建物である…

博物館は、常設展と企画展を別々な催しとして催行可能な構造になっていて、御買得な両方が観られる券も在る。

実は…「12月15日まで」ということで『対馬藩と朝鮮通信使』という企画展が開催される旨を聞き及んでいた…当初は…「17日に長崎?」と思っていたが、同日が月に一度の博物館休館の日であることを知り「では16日か18日に長崎?」と考えていた…しかし、往路の航空便が乱れて“仕切り直し”に及んだ結果、14日夕刻に長崎へ着き、15日に長崎に居たので、この企画展の最終日に確りと見学することが叶った…

既に終わってしまった企画展だが…なかなかに記憶に残るものだった。江戸時代を通じ、対馬は宗家の封土であった。通常、幕府が大名に封土を安堵する場合、「○○一円○万石」というような“石高”が入った書状が与えられるのだが、宗家に伝わるモノには「対馬一円」としかない。“石高”が無いのだ…対馬は広大な農地が在るでもなく、朝鮮半島等との交易利権のような権益が封土としての「得られるモノ」だった訳である。そうした状況の宗家が、朝鮮との交流の上で色々と活躍した経過等が詳しく紹介される展示だった。江戸時代の「測量家が沿岸等を歩き回って造った」という、北海道でも見受けられる、驚く程精確な地図が在る。その種の地図の、かなり大きな対馬のモノが飾られていたが、見入ってしまった。

企画展なので、長崎に在るモノの他に対馬や他の日本国内に在るモノ、更に韓国・釜山から借り受けていたモノも展示されていた。江戸時代の両国交流で活躍した人物の肖像画等である。秀逸だったのは、韓国の人形作家が創ったという、大変に華やかで大掛かりだったことが伝えられる“朝鮮通信使”の大行列を再現した作品だった。独特なデザインの帽子を被った正装の朝鮮関係者や、丁髷を結った行列に同行している日本の人達、騎乗している人、歩行している人、身軽な人、重そうなモノを運んでいる人と、一体毎に異なる按配で「行列に参加した人達の表情や雰囲気」を伝える数百体の人形で様子が再現されていた…

更に…韓国で制作された朝鮮通信使の歴史を児童生徒等に紹介する目的らしいビデオが会場の隅で上映されていた。全編韓国語―作中に“日本人”が一寸出るが、彼らも韓国語を話した…何処の国にも在る“吹き替え”な方式だった…―で日本語字幕が付けられていた。それによると…「約250年間、何度も大掛かりな使節団が訪ねるなどした友好的な隣国関係が続いたが、世界的にも類例が少ない偉業である」と朝鮮通信使のことを纏めていた。正しくそれである。江戸時代、朝鮮通信使がやって来ると、彼らが江戸へ向かう道筋の各地を中心に、現代風に言う一寸した“韓流ブーム”のようなものが見受けられたことも企画展では紹介されていた。

少し以前、稚内で<境界フォーラム>というような催しが在り、各地の皆さんがやって来たことが話題になった。その際、「遠く対馬や五島の皆さんも来たそうだ…」と話題になっていて、「対馬?どんな場所か?」と気になっていたが、思いがけず、大変に貴重なモノも含む対馬関連の展示を見学出来たことは非常に幸いだった…

この企画展の後、常設展を愉しんだ…

常設展は長崎という街の歩みが魅力的に語られているもので、なかなかに楽しめた。中にガイド役のおじさんが居て、旧い地図、最近の空撮写真が床に投射されるコーナーで、街の歩みを教えて頂いた。長崎は港町として起こったが、大規模な火災に見舞われて街の再興が図られた。その再興の際に築かれた街路が、今日の街の基礎になっているということだった。

この他、ガイドのおじさんは冬季に雪が降った場合のことを話題にしていた。長崎で雪が少し積もると、坂道で滑るので、軽微な物損事故が存外に発生してしまうのだという…そこで、薄い積雪がある程度気にならなくなる午後の時間帯に至るまで、車で出るのを遠慮するという考え方をする方も在るらしい。話してくれたおじさんもそうしているそうだ…

この降雪時の話しは、おじさんに「どちらから?」と尋ねられ、「北海道…」という話しになったことで出た話題だったが、この日の長崎は美しい好天だった…

↓庭の木…
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↑紅葉が残っている!!こういう様子を、何となく「エキゾチック」と感じてしまう…

常設展は、街の歩みに関する部分と、再現された長崎奉行所の部分とに大きく分かれる。長崎奉行所の部分には、長崎奉行所の役目等を紹介する展示が在るが…何と言っても「再現されている建物そのもの」が素晴らしい展示である。

↓正面入口であったらしい場所だ…
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↑関係者が忙しく出入りしていたことであろう…

↓屋根の感じが重厚だ…
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↓敷地入口の門へ至る階段が設えられていたのだろうか…
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>>長崎歴史文化博物館のウェブサイト

↓愉しく読んだ時代小説…
>>長崎奉行所 伊立重蔵 シリーズの各作品について

↓“長崎奉行”というものが判る一冊…
>>『長崎奉行 等身大の官僚群像』

とにかくも、この長崎歴史文化博物館は非常に愉しかった…早くも「非常に懐かしい」という感じがしている…

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