↓そういう中、浦上天主堂を巡る物語を綴った一冊に出会い、大変興味深く読了した経過も在った…
>>『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』
「長崎を再訪した暁には…」と浦上天主堂を訪ねてみることを思い続けていたが、その長崎再訪が実現した中で自然と浦上天主堂に足を向けた。
上記の本にも詳しいが、浦上天主堂は原爆の爆心地となってしまったエリアに在る。原爆で破壊されてしまった天主堂は、その後再建されて現在に至っている…
爆心地となってしまったエリアには平和公園が設けられていて、爆心地と推定される地点も公園として整備されている。そのエリアに向かうには、路面電車の松山町停留所が便利だ。
電車を下りて、浦上天主堂への案内標識も見ながら歩く…
↓通の向こうに浦上天主堂が見え始める…
↑好天に恵まれたこの日だったが、こうして視ると独特な存在感が在る…
↓浦上天主堂を見上げる…「教会らしい」感じの美しい形状だ…
↑浦上天主堂の形状を視ていると、この日の空の色の感じとも相俟って、何となく南フランスやイタリア等を思わせる雰囲気が在った…
↓南フランスやイタリアのような雰囲気と思ったが、周囲に植えられた木が“和風”な感じで面白い…
↑和風なモノ、洋風なモノなど色々と入り混じった辺りが、“文化の交差点”のようだった地域「らしい」ということなのだろう…
浦上天主堂は、1895年から1914年まで19年間も掛けて、多くの信者が煉瓦を1つずつ積み上げるようにして築かれたモノだった。永かった禁教の時代にも受け継がれてきた信仰の象徴であった訳だが…原爆で破壊されてしまった…原爆禍を伝えるものとして、ここには被災して焼け残ったマリア像の顔の部分が在る…マリア像が「無言で伝えるモノ」に、少し圧倒される…
そして浦上天主堂は、1958年に再建されている…1980年には、嘗ての煉瓦造の外観とする改修工事が施されているという…
ここには、かのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪日の際に立ち寄った経過が在るという…
↓入口にヨハネ・パウロ2世の像が在った…
↑名前を視る前に、ニュース映像で随分見掛けた記憶が在るので、直ぐにヨハネ・パウロ2世だと判った…よく出来た像だと思う…
ヨハネ・パウロ2世はポーランド出身で、母国ポーランドで色々と社会が揺れていた時代に教皇を務めていたことから、母国の情勢を巡って色々と行動していたことが報じられていたのを覚えている。それで、何となく風貌を覚えていて、像を視て直ぐ判ったのだが…
ヨハネ・パウロ2世が浦上天主堂に立ち寄ってミサを催したのは1981年2月だったというが、それを記念する像は翌年から設置されているという…
↓因みに、ヨハネ・パウロ2世については、こちらに詳しい…
>>『バチカン近現代史』
ここはなかなかに美しい場所だが、この街の永い歴史の中に生きた人達の様々な想いが渦巻いているような感もする場所だ。更に…ここは「平和への祈り」ということを意識する場所でも在る…
浦上天主堂の周辺…住所表示を視ると“平和町”となっていた。偶々寄ったコンビニが「平和町店」だったのだが…何となく<ピース>(平和)を求めてしまった…
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