フィフティ・シェイズ・ダーカー 上(上)(リヴィエラ)
フィフティ・シェイズ・ダーカー 下(下)(リヴィエラ)
↑なかなかに愉しく、停まらなくなってしまい、愉しく読了した…
本作もアナことアナスタシア・スティールとクリスチャン・グレイの物語である。前作に引き続き、物語の99%はアナの目線、一人称で語られる。或いは…作中の大学卒業間近、その少し後から年月を重ねた或る日、彼女と何かで親しくなった人が、彼女の回想譚に付き合っているような…そんな気分にならないでもない…
アナは無事に出版社に就職したが、失われかけようとしていたクリスチャン・グレイとの関係が自分の中で余りにも大きくなっていることに気付き、泣き暮らすような状況となってしまう…クリスチャン・グレイも同様だった…
アナの友人であるホセの写真展オープニングに出掛ける約束を口実に、アナとクリスチャン・グレイとは再会し、“復縁”する。
“復縁”とは言え、2人の間で話し合われていたクリスチャン・グレイによる「オファー」の話しは曖昧になり、互いが欠けることに耐えられなくなっていることを確認する日々となった。
クリスチャン・グレイは、現在では裕福な家庭の養子で、自らも大成功した起業家であるが、不幸極まりない生い立ちを負っていた。それ故に持つ「心の傷」のようなものが覗いている。アナはそれをも受け止めようとする。
こうした中、クリスチャン・グレイと過去に関係していた女性が出現してみたり、アナが勤め始めた出版社で、パワハラ、セクハラ的な振る舞いに及ぶ人物が現れたりと、様々な出来事が展開する…
多少“ネタばれ”的になって恐縮だが…シリーズに冠せられている「フィフティ・シェイズ」という表現が気になる…
「フィフティ・シェイズ」には「五十通りの」という訳語が充てられている。「非常に多様な」という含意なのだと思う。
作中で、クリスチャン・グレイは「五十通りに歪んだ」と生い立ちに起因する様々な“傷”を負っていることを暗示する。そうしたことから、何度かアナが彼を「フィフティ」と表現することが在る…
第1作の『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』だが、これは“グレイ”に「クリスチャンの姓」と「灰色」を掛けて、「灰色、或いはグレイの非常な多様さ」というような意味、それに出逢うアナは「どうするだろう?どうなるだろう?」という意味なのだと思うようになった。
そして第2作の『フィフティ・シェイズ・ダーカー』だが、これは「より暗さを加えた、非常に多様な出来事の物語」ということであろう…
いずれにしても…一寸嵌る物語である…
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