↓こういう作品が登場した!!私は文庫化を待っていた期待の作品だが…期待は裏切られなかった!!期待以上である!!

浅田次郎/終わらざる夏上 集英社文庫

浅田次郎/終わらざる夏中 集英社文庫

浅田次郎/終わらざる夏下 集英社文庫
↑大変興味深く読了した…終盤の方は涙腺が緩む感さえ在る…
物語の背景は昭和20年の6月末頃から8月20日頃までで、終章に「2年位後」と思われる場面が在るのだが、基本的には長くは無い期間を扱っているに過ぎないのだが、何か「“昭和20年8月”という時期を生きた大勢の人達の物語」が凝縮されていて、“大河ドラマ”な雰囲気さえ漂っている。作中の大勢の人達が語る各々の人生を通じて綴られた、「知られざる戦い」を巡る挿話…とでも言えば善いのか?彼らが語る物語に強く引き込まれた…
本作の序盤…「総動員の時代と人々」が克明に説かれる感である…大本営の参謀が、「抽象的な数字」のように動員計画を練り、それが各地に伝えられ、各県を管轄する軍の出先機関で「抽象的な数字」は「具体的な個人」になり、警察や地元役場を通じて本人に伝えられ、本人が指定された部隊に出向く…「“赤紙”はこういう具合に準備され、こういう具合に届けられ、受け取られる」というようなことが、それぞれの段階に携わる人達の目線で克明に描かれる…
そんな序盤から起こる物語は、本作の“主役陣”に行き当たる…岩手県を管轄する軍の出先機関が見出した3名である…
“主役陣”の3名とは…徴兵年齢が45歳までに延長されたことを受けて、若い頃は酷い近視で徴兵検査に実質的に不合格だった経過さえある、45歳の片岡は東京の出版社に勤務する英語小説の翻訳家だ…地方の医師を養成する医専で医師免許を取得して、岩手県内で医師をしていたが、一寸問題―どういうものかは、是非本作で…―が在ったこともあり、東京の大学に入って研鑽していた菊池医師…3回の応召で中国大陸に出向いていた経過が在り、戦功が地元新聞で伝えられたことも在った輜重部隊の軍曹で、戦闘で利き手の指を失ってしまったことから、盛岡で運転手をしていた“鬼熊”こと富永…この3名である…
戦場とは縁遠い場所に居た男達…彼らが駆り出され、いよいよ「終末?」という感が漂う…軍隊経験が無いとは言え、医師で未だ若い菊池は「損耗が著しかった医療の知識や技術の在る者」の補充ということになるかもしれない。が、如何に勲章を受けたことが在っても、指を失っていて銃を扱うこともままならない―それでも大型車の運転が得意ではあるが…―ような、38歳の富永が何故呼ばれたのか?「30代」が“老兵”と呼ばれた時代には“異常”としか思えない「45歳」の片岡は何故呼ばれたのか?詳しくは本作で是非!!
3名が向かった先は占守島(しむしゅとう)だった…千島列島の北端部、カムチャッカ半島の対岸に在る小さな島である…ここの男達…満州から移動して、その後輸送手段が損耗してしまったことから、島に居座っている精兵達…ここには“準主役”というような作中人物達が居る…
“準主役”というような作中人物達…強く記憶に残るのは、“段列”と呼ばれる、戦車隊の車輌整備や補給を受け持つ班を取り仕切る、退役年齢を過ぎた老兵、大屋准尉…准尉の下で働く、中学を中退して少年戦車兵学校に入学し、そこを卒業した少年、“お末”こと中村末松…この2人が凄く記憶に残る…
本作は大勢の人達の人生が綴られている。綴られている“人生”…その一つを拾ってみるだけでも重厚な物語となりそうだが、それが巧みに繋ぎ合わされ、「知られざる戦い」と「昭和20年」が綴られている…
「大勢の人達」?“主役陣”の3名を初め、その家族、大屋准尉や中村伍長のような老若の将兵、片岡の小学生の息子、疎開先の子ども、疎開を引率している教師達、占守島の缶詰工場の責任者、その工場に“挺身隊”として派遣されている「繰上げ卒業」のような状態だった女学生達…“主役陣”や“準主役”という感の人達が出くわす人達…更に、ソ連軍の将校と兵士までも…それらが本作に登場する「大勢の人達」である…
本作のクライマックスとなる占守島の戦いは異常な戦いであった訳だが…或いはこの戦いは、「ソ連軍の北海道入り」というような野心を打ち砕いた重要な戦いであったかもしれない…
本作のクライマックスとなる戦いに関する部分を読んで、ユジノサハリンスクの博物館に屋外展示されている日本軍戦車を思い出した…
占守島に居た戦車隊は第十一連隊…“十”と“一”を重ねると“士”である…本作では「サムライ」と説明されているが…彼らは車輌等に好んでこのマークを書き込んでいたらしい…ユジノサハリンスクの博物館に屋外展示されている日本軍戦車にも、その“士”(サムライ)のマークが在る…
「毎年8月が近付くと…」という話しでもないが…これは一読の価値が在る!!
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