↓これである!!

安部龍太郎/下天を謀る(上) 新潮文庫

安部龍太郎/下天を謀る(下) 新潮文庫
↑歴史に依拠した時代モノなので、大筋は想定可能なのだが、それでも“続き”が気になって、頁を繰る手が停め難くなってしまう作品だ…
著名な人を引っ張り出して、「○○氏絶賛」等とするのは、新刊の本を宣伝する常套手段のように思うのだが…私はそういうのを視ると「だから?」と思ってしまう。誰が何を言おうと、小説のようなモノは「自分が好いと思えば好い作品」という以外に“評価基準”等無いと思っている。新刊の紹介に関しては、「○○氏絶賛」等とするより、「こういう主人公が活躍する」とか、“サスペンス”、“ファンタジー”、“SF”、“時代モノ”というようなジャンルでも説いてもらった方が有難い…
本作を初めて書店で視掛けた際、「○○氏絶賛」ばかりが目に付いたので余り気に掛けていなかったのだが…「藤堂高虎が主人公の、戦国時代モノ」と知り、強い興味を覚えた…
“藤堂高虎”…著名な戦国武将ではあるが、色々な小説や映画・ドラマに劇中人物として登場し、虚実混ざって色々と語られる人物であろう…フィクションの“劇中人物”として、色々な描かれ方をしている…が、私はこの人物に関しては小説『虎の城』の主人公としてのイメージを強く持っている。
>>『虎の城』
『虎の城』の藤堂高虎は、自己研鑽を重ねながら独自の位置を獲得していく人物なのだが…他の作品では“敵役”的な位置を占める場合も少なくない…『影武者徳川家康』等では、かなり印象が悪い…
>>『影武者徳川家康』
本当は“影武者”である家康と、後継者の秀忠の暗闘が描かれる『影武者徳川家康』の中で、藤堂高虎は“秀忠派”で暗躍しているイメージになっている…この例で何となく判るように、藤堂高虎は結果的に何度も主君を替えていることから、「利得第一を原理に行動」というようなイメージの、癖の在る―またそれなりに実力も在る…―人物として色々な小説や映画・ドラマに登場する機会が多いような気がしないでもないのだが…
実を言えば、私自身は藤堂高虎について、何となく『影武者徳川家康』の“敵役”的なイメージを抱いて―更に、それならそれで好いとも思っていた…―いたが、『虎の城』に出会ってイメージが変わった。或いは、「あの時代は“何度も主君を替える”のは“在り”なのであるし、現代に在っても“自らを最も買ってくれると思える所に活躍の場を求める”という志向は不自然なことではないであろう…」と思えるようになった。
少し前置きが長めになってしまったが…本作の藤堂高虎は、『虎の城』のイメージに少し近い。豊臣政権の質的な変化が生じた中、深い哀しみと憤りの中に沈んだ彼は、徳川家康の“盟友”となることを自ら選ぶ…それが本作の肝である。
本作の藤堂高虎は、彼を見出して召抱えた豊臣秀長を深く敬愛している。豊臣秀長は「領主とは“幸せの番人”」と藤堂高虎に語っていて、彼は折に触れてその言を噛み締めている。豊臣秀長は天下盗りを目指した豊臣秀吉陣営を良く支えたことで知られるが、最終的に百万石の領主になって居を構えた大和郡山では、親しみと敬意を込めて“大納言様”と呼ばれていて、善政を布いていたという人物である。
前半の三分の一強は、藤堂高虎がなかなかの人物である豊臣秀長の薫陶を受けながら、彼の右腕として百万石の領国を支えるようになって行く様と、その豊臣秀長と何やら変質してきた豊臣秀吉との間に溝が出来て行く様が描かれる。やがて、藤堂高虎が深い哀しみと憤りの中に沈む出来事に至る。後半は所謂“元和厭武”に至るまでの闘いの日々になる…
本作の解説に在るのだが…藤堂高虎は「利得第一を原理に行動」で「保身が巧い」と見られ勝ちな人物であるが、実はそうでもない…徳川家康が実力派大名の中から見出した彼の“同志”的存在であり、幕藩体制の礎づくりに尽力した人物であり、他方で領国の繁栄を目指して有益な仕事を多くしているということが、本作では綴られている…
本作の藤堂高虎…巨体を揺す振って槍を振るう荒武者であり、独特な構想力で城の縄張りを立案し、建設時の技術的難しさを克服するアイディアを出し、配下の甲賀・伊賀の忍者を駆使した諜報戦を行い、徳川陣営の“裏の参謀総長”といった趣で謀を巡らす…こういう多面的な藤堂高虎だが、繊細で義理堅い男でもある…本作は、こういう「素晴らしい男」に出会わせてくれる!!多くの皆さんに奨めたい!!
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