↓そういう訳で入手した何冊かの一冊がこれである。


水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン 私はなぜ九州新幹線に金箔を貼ったのか?(交通新聞社新書)

↑読了したばかりの『電車のデザイン』は、寧ろ「写真で仕事を見せる」という要素が大きかったのだが、本書は「言葉で語る」というものになっている。「インタビューをライターが構成」という手法で綴られているそうだが、何か「講演会を拝聴…」というような感覚で、スルスルと愉しく読むことが出来た一冊である。
本書は題名に“鉄道”と在るので、「鉄道ファン」というような「少々特殊な領域に居る人達」に向けた一冊と思われるかもしれないが、決してそうではない。これは「或る仕事で一定以上の実績を挙げた人達の貴重な経験談」であり、“サービス”、“公共”、“旅行”、“観光”、“地域づくり”というようなこと、「先達として後身を育む気構えのようなもの」など「普遍的なテーマ」が詰まっている。寧ろ「鉄道ファン」という人達“以外”に向けられたものかもしれない。
本書は九州新幹線の全線開業を前に、九州に登場して好評を博した“800系”を増備する運びになり、“新800系”が登場し、それが話題になっていた時期を背景に登場したものである。前に読了した『電車のデザイン』も似たような感じの登場だったと思うのだが、本書は「より一層の読み応え」が在る。本書では「新しい車輌を手掛けた際に考えたことや、関係者間でのやり取りの一部」が明らかにされていて、「長く仕事を手掛けた中での考え方の変遷」も説かれている。それが凄く面白い。
水戸岡氏と新幹線との「最初の出会い」というのは、彼が未だ非常に若かった頃に大阪で勤めていて、社長と一緒に東京へ出張した際に“0系”と呼ばれる最初期の東海道新幹線の列車に乗車したこと―彼位の世代の人であれば、そういう事例が殆どであろう…―だったというが、彼が何よりも記憶しているのは、“デザイン”ではなく“シーン”なのだという。社長が土産話にしていた「ビュッフェのハンバーグ定食」を、凄いスピードで流れる車窓を見ながら頂いたという“シーン”が忘れられないのだという。
そうした「深い根」の故であろうか?彼が後年手掛ける鉄道車輌を含む“公共空間”は「人々の“シーン”を演出」ということに配意されていることが判る。
実際…私自身「評価の高いデザインの九州の車輌!!」と大変な期待と共に幾つかの列車に乗車し、思わず―と言うより非常に多く…―写真まで撮って幾つかのデザインを深く記憶に留めはしたが…それ以上に、「やや激しい雨でずぶ濡れになって草臥れた中、濡れてしまった上着を脱ぎ、自由席にも拘らずゴージャスな緑系の布で覆われたシートに身を沈め、向かう先の産品を利用したという上品な味わいのアイスクリームを車内販売で求め、遠方の緑―冬に積雪地域から訪ねると、それだけで鮮烈である…―が雨に霞む車窓を眺めながら鹿児島中央駅に滑り込み、下車した後にホームの隅で一服しながら個性的な列車外観を暫し眺めた…」というようなことや、「大企業の重役会議室に在るような立派な椅子が並ぶ、殆どの席が埋まった車内できょろきょろして空席を見つけ、そこに身を沈めると肘掛の下から木製の小さなテーブルが登場し、車内販売で求めた珈琲の発砲のカップには“九州7県各地を結ぶ鉄道”という意味が込められたであろう、“7羽の燕が輪を作っているマーク”が入っていて、車窓は次第に薄暗くなって、珈琲を飲み切った辺りで博多駅が近付く」というような、「愛すべき列車達と共に在ったシーン」というようなものをより強く記憶に留めていることに思い至るのである…昨年12月に九州を訪ねてみた時のことに止まらず、「列車での旅」と言えば…「初めて(当時は健在だった)夜行列車で稚内に来た時」、「小学生の頃に弟と2人で伯父・伯母を列車で訪ねた時」、「学生時代に青函トンネルを潜る列車で帰省をした時」、「進学を目指して東京へ向かおうと札幌駅に行くと律儀な友人2名が見送りに来てくれた時」、更に欧州諸国でも散々に色々な列車に乗ったが、思い出すのは何時も“シーン”であることに気付かされる…
「鉄道車輌をデザイン」というが、水戸岡氏によれば、「求められる速度で安全に運行する装置」としての車輌を作る99%の仕事はエンジニア達や製造メーカーの人達のもので、デザインの仕事はその素晴らしさを利用者に伝えるという残りの1%なのだという。その“1%”が大切で、JR九州の歴代社長が目標にするという「ナンバーワンではないかもしれないがオンリーワン」というモノを産出すのだろうが…そのため、彼は「“利用者代表”として企画会議に参画」というつもりで仕事に臨んでいるのだそうだ…本書を纏めたライターによる“あとがき”によると、この「“利用者代表”として企画会議に参画」というつもりで、関係者とやり合った辺りの挿話が、水戸岡氏の講演会をやると最もウケる場面だそうだ…
どういう分野であれ、「或る仕事で一定以上の実績を挙げた人達の貴重な経験談」というものは傾聴に値する。そういう意味だけで本書は一読に値するであろうが、鉄道車輌や駅施設、更に多くの人の目に触れる包装紙―水戸岡氏は「特急○○号限定△△弁当」というようなものの包装紙を手掛けているそうだ…―やロゴマーク等の“公共”のモノを造る…或いは創ることに関る意見というものは非常に貴重で、より広く読まれなければならないものであると思った。評価の高い車輌が登場した背景に興味を抱く「鉄道ファン」に奨めるべき一冊であることは間違いないが、これは「“鉄道ファン”は特殊な領域に居る人達で、自分は無関係」と思っている人達にこそ奨めなければならない一冊かもしれない。更に加えると…「“鉄道ファン”は特殊な領域に居る人達で、自分は無関係」と思っている人達の中にも「“公共”のモノを造る」ということに携わっている人は多い筈で、そういう人こそこの種の意見には耳を傾けておかなければならない筈だ…
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