『江藤新平』

佐賀城本丸歴史館による、佐賀に縁の人達の事績等を紹介するシリーズが気に入った…

↓そのシリーズの中から“江藤新平”を入手し、興味深く読了したところである…



江藤新平(佐賀偉人伝)

↑後世の目線に過ぎないのかもしれないが…「不本意な最期」を遂げてしまった人物に関する評伝…何か惹かれるものが在ることを否定出来ない…

佐賀の人達は、所謂“明治維新”の後の政府で要職を占めるに至っていたが、長州や薩摩、或いは土佐の人達に比べ、「些か後発の勢力」というような雰囲気も在ったかもしれない。そして所謂“士族反乱”という動きの最初の方で、なかなかに力を発揮した人達が処断されることになってしまった。“江藤新平”と聞くと、そう言った「力を発揮してなかなかに活躍したが、早い時期の“士族反乱”で処断されてしまった」という人達の代表的な人物のような印象を持っている…こういうのは「素人の“一面的理解”」以上でも以下でもないものであろうが…

本書は、そういうような“一面的理解”に留まらず、江藤新平という人物の生い立ち、行動の背景となっていたと思われる、彼が学んだことや伝えられている考え方、或いは後世に彼の事を伝える役目を結果的に果たした息子達の事などが詳しく綴られている。本書の筆者は、先行研究や、或る程度知られた小説に江藤新平が登場していることなどを引いてやや謙遜しているが、本書は「コンパクトな分量ながら、生き生きと“江藤新平”というなかなかに魅力的な人物を巧く描き出す」ことに成功していると思う。

漠然と、江藤新平という人物は「若い頃から頭角を現した秀才」というような印象を抱いていたが、実はそうではない…佐賀・鍋島の家中では、必ずしも高い位置に在った訳でもなく、当時の若い人達が認められて役目を得る道筋でもあった藩校への入学も経済的事由で遅れていたという“苦労人”である。彼自身、“南白”という号を用いていたそうだが、これは王に仕えて大変な功績を挙げた知識人が、貧しさの故になかなか出仕の機会を得られずに居た青年時代に関して綴られた古典に由来するものらしい。彼自身も様々な学問に触れて貪欲に知識を吸収し、それを「自分のモノ」にすることを重ねながら、「若い間は経済的事由も在って不遇でも、何時か機会を掴んで…」という大志を胸に過ごしていた訳である。

明治の初めに、彼が新政府の要職を占めるようになった辺りで、彼は既に30代半ばであった。彼は“改革”というのではなく“創業”と捉えて、官僚機構や法制の整備に熱心に取り組んでいる。彼が大切にしたことは、青年時代から学んで「自分のモノ」にしていた考え方で、“名分”を重んじるということであった。

“名分”を重んじるということは、「飽くまでも筋目を通した型で物事を進める」ことに意を配れば、自ずとより良い結果が出るであろう、というような考え方である。要は、所謂「空気を読む」というようなことではなく、“筋論”、“正論”で強力に物事を推進する…ということになるであろうか…そんな彼は司法卿を務めていたことがよく知られる…

彼は同郷の同輩、先輩との交わりで多くを学び、縁在って行動を共にした余所出身の人達とも親しく交わったようだが、「明治6年の政変」で政府の職を去ってしまう辺りには、寧ろ「後輩が彼の薫陶を受ける」というような位置を獲得していたようだ。故に…佐賀での反乱に際しては“板挟み”のようになり、綿密な計画が在るでもない“暴発”の動きに担がれてしまったのであろう…

なかなかに興味深く読んだ一冊で、広く奨めたい!!

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