北海道から大阪へ飛んで夜を明かし、朝の大阪で強めな雨に降られた…濡れるのを嫌って地下鉄駅等が在る通路に入り、大阪の都心部と新大阪駅とを往来する際に何度か利用したことが在る路線の駅であったことに気付き、何気なく電車に乗り込んで新大阪駅に至ってみると…新大阪から鹿児島中央駅直通で停車駅も少ない<みずほ>が小一時間後に出るのが判り、乗り込んでしまったのだった…
そうやって着いた熊本…熊本では「壮大な城」として知られる熊本城を視たかった!!
熊本城に着いてみれば、曇天ではあったが雨は降っていなかった…
↓最初に目を奪われるのは、天然の岩山よりも急峻な感さえ抱くような巨大な石垣である…
大阪や名古屋の城に築かれた石垣も視ていて…あちらはより大きな石も用いたものだが…少し「広々とした場所に築いた構造物」という感じがして、“威圧感”は然程でもないように思っていた…
↓熊本城は、敷地の広さ目一杯に、丹念に高々と石を積み上げた石垣が幾重にも複雑に組み合わせられているように見える…
↑正しく「難攻不落!!不滅の要塞!!」というイメージだ…
この熊本城は、かの加藤清正が築き、江戸時代には細川家の居城となった。ここで戦われた実戦…明治時代に入ってからの“西南戦争”だ…
政府側が熊本城を拠点としていたため、鹿児島から北上した西郷軍がここを攻めた訳だが…ここに「刀や槍を手にした敵兵」が潜んでいて、そこに突入するというだけでも、相当な度胸が要るように見受けられるが…当時は大砲や、現在も使われている歩兵用の銃と殺傷能力に大差が在るとも思えない銃が沢山在って、場合によってはガトリング銃のようなとんでもない迷惑なモノも在ったのである。そこで「突入!!」と戦いに望んだ訳だ…
「熊本城…なるほど、とんでもなく手強い要塞だ…」等と考えて石垣を見上げていたのだが…雨が降り始めた…
降り始めた雨…全く勢いが弱まらない…かなり酷く濡れてしまった…
この熊本城で、幾つかのモノを見学したが、秀逸だったのは“御殿”である。“御殿”というのは、城主の居館であり、領地の治世に関する事務を行う政庁であり、賓客の接待をする場であり、その外色々な機能を負っていた建物である。領地を治める大名の家中を「地方の行政府」に見立てるのであれば、“御殿”は「行政府の本庁舎」である。更に領主の「公館」で、賓客に対応する「迎賓館」で、家中の公式行事を行う場合さえ在るので「多目的ホール」でさえあったことになる。熊本城では城の400年を記念する事業として、この“御殿”を再現していて、これがなかなかに見応えがある。
↓中に一際豪華な部屋が設えられている…
↑“貴賓室”というようなものだったようだ…
↓角を削ったような形状の天井…これはかなり手が込んでいる…
これはかの加藤清正が、「場合によっては恩義の在る豊臣秀吉の遺児、豊臣秀頼を迎える可能性も…」という意図で造らせたものかもしれないという説が在るらしい場所だという…
↓こちらは「熊本のシンボル」のようになっている天守閣である…
↑雨で写真が撮り悪かったが、御殿の窓から撮ったものだ。中に居た係のおじさんが「密かなお勧め撮影場所」として来場者に耳打ちしていた場所だが…私は彼が指摘するのを待つまでもなく、ここを視付けて写真を撮っていた。おじさんは「色々な場所に行っていて…こういう建物をよく知っとる…」と言っていた…
↓大阪・熊本・鹿児島と動き回り、大阪と熊本でやや強めな雨に降られて難儀した12月15日の画…

「九州7県巡り」の中、雨で余り動き回らず、滞在も短かったことから、熊本はやや印象が薄くなってしまった。何時か、多少ゆっくりと訪ねてみたいものである…
この記事へのコメント