佐賀城跡側と佐賀駅とを結ぶ道筋の、如何にも「古くから店を営んでいる」という雰囲気の喫茶店に入った…珈琲を頼めば、「おかわり」がサイフォンのポットに入った珈琲が最初から出て来て、一寸したお菓子まで出て来て、「いらっしゃい…傘はそこでよか…」と迎えてくれた優しそうなおばさんが「ゆっくりしとってください…」と言ってくれた…
という訳で、一寸パソコンを出し、佐賀の顛末を綴ってみる…
ホテルから佐賀城跡方面への道筋は、昨夕の間に一寸だけ歩いて調べておいた。それでもホテルで頂いたコピーの地図をポケットに…
ホテルからは佐賀駅を通り抜けて城跡の方へ続く道に出るのだが…駅構内に入居しているコンビニで傘を求めた。「やや高い?」と思わないでもなかったが、所謂“ビニール傘”の亜種と見受けられるモノながらも、“70cm”を謳い、一寸丈夫そうだったのでそれを求めた。結果…大正解!!しとしとと静かな佐賀に小雨が降り続け、やや長く歩くには傘が必須だった…
この時季…稚内では傘など使わない…強風で危ないということもないではないが、そればかりでもない…粒子の細かい雪は「掃えば落ちる」もので、雨のように酷く濡れる訳でもないからだ…時々、雪解け時季近くに強めな雨になると、「傘?何処に置いてあった?」等と探すこともないではない程だ…従って…この時季は「傘を持って旅に」という発想が無い…或いは…私は大柄なので、傘を使っていても酷く濡れる場合が在り、傘を億劫であると思う度合いが強いのかもしれないから、最初から持とうとしないのかもしれないが…
最初に“大隈記念館”を目指した。歩道を蒼系のタイルにした商店街が在って、「大隈重信生誕地」とバナーが飾られていたが…記念館の場所がよく判らない…佐賀城の資料館に関しては大きな標識が見付かったのだが…静かな通で、訊ねようにも訊ねられそうな雰囲気の場所も見当たらず…目に留まった小さな郵便局に入って訊ねてみた…女性の局員が親切に応対してくださった。感謝!!
郵便局の方のお蔭で、“大隈記念館”は見付かった。幕末期から明治・大正に活躍した大隈重信の生涯と事績が紹介されていた。
多少ショックだったのは“義足”である…外相として“条約改正”に取組んでいた頃、彼が纏めようとしていた案に反対の立場を取る者からテロ攻撃を受けて重傷を負った経過は、読んだ小説にも出ていたので承知していたが…その時に片脚を失っていたのである…その“脚”の代わりのものになった義足…生々しかった…後年、「人間は125年位は生きられるものだ」と口癖のように言い、晩年まで精力的に活動したことが伝えられる大隈重信は身体が不自由だったのだ…それでも、彼は攻撃をした者を恨む素振りは見せず「自分も本気で仕事をしていたが、相手も本気で主張したのだ」などという主旨のことを言って、自決した犯人の命日にお参りをしていたそうである…
その大隈重信は、政党政治の揺籃期に首相となり、やがて所謂“大正デモクラシー”の潮流の中で2度目の首相の座に就く。この頃、彼は「政党党首による選挙時の全国遊説」の初めての事例となる選挙運動をやってのけている。この話し…“義足”を視た後に改めて紹介されたものを視ると、少々驚く…写真も在ったが、列車で各地を訪ね、駅で停車中に客車の窓から半身を乗り出し、ホームから溢れるように集まった聴衆に語り掛けるのであった…
記念館の脇に、大隈重信が育った家が残っている。
彼の父は鍋島家中に在って“300石”だったそうだ。どの位の位置なのかは判らないが、彼は砲術の師範だった。この種の師範というものは、「芸道の家元」的な面が在るということも読んだことがある。家中の“公務”に加えて、“師範”としての「自分の領分の活躍」も在ったのかもしれない…その大隈重信の父が入手したという家…八太郎と呼ばれていた大隈重信本人、二人の姉、両親が暮らす場としてはつつましい感じだ。各地の街で幾らでも視掛けるような大きさの家である。しかし、“300石”というクラスの武士の居宅が、こんなに綺麗に残って史跡となったのも、政治家として、学校の創設者・経営者として大きな足跡を残した大隈重信の家だったからであろう…
続いて佐賀城本丸…ここも秀逸だ!!
佐賀城は、肥前を中心に一大勢力となっていた戦国大名の竜造寺家が使っていた城を、江戸時代にまで続くことになる鍋島家が改修したものだった。18世紀の享保年間に火災で建物が失われ、やがて二の丸に設けられていた御殿も1835年に消失した…その後、鍋島直正が本丸に「居宅兼政庁」である御殿を築かせたのだが、その建物の一部が見事に再建されている。
幕末期の鍋島家の佐賀に関して、或いは九州各県等で運動中の「近代化遺産を世界遺産に!!」の件を紹介したビデオも興味深く視た。鍋島家は、幕府に命じられて請けていた役目である“長崎警固”を通じて、科学技術への問題意識を高め、そして実践した訳だが…長崎で出島史料館を見学したことと相俟って、かなり興味深く館内の展示を見た。
この佐賀城本丸の展示で「おぉ!!」と感嘆したのは…「北が下、南が上」で描かれた北海道・樺太の地図である…鍋島直正は、明治政府の時代になって、最初に蝦夷地開拓の任を与えられた人物なのである。彼は島義勇を、多分「その方が善きに計らえ…」とでも命じたのだろうが、“判官”に任じて現地に送り込んでいる…そしてその島義勇が“札幌”のグランドプランを纏める場面で活躍している…
という具合で…“お腹一杯”に佐賀の興味深い場所を見学出来た…そして…漸く珈琲も残り少なくなって来た…
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