↓そんな作品の一つである…
沢彦 上
沢彦 下
↑沢彦(たくげん)とは、織田信長の学問の師であり、信長が“師僧”と呼んで慕っていたとも言われる人物で、かの「天下布武」という印象を授けたという人物だ…
沢彦は、「天下布武」という“理想”を信長に授けた、或いは託した。そして彼の相談役的な役目も担っていた時期が在った。
「天下布武」と聞けば…何か“武力制圧”というようなイメージも抱かないではないが、本来の意味は異なる…「徳を備えた強力な権力を確立し、政情を安定させ、経済発展を図って、領民に安寧と繁栄をもたらす」という狙いのことなのである…
戦国時代の禅僧というのは、一流の知識人で、比較的自由に活動を行うことも出来る立場であったようだが、沢彦が属していた妙心寺の禅僧達の中には地方で活動をして名を成した人が多く居る。彼の先達には駿河の今川義元を支えたという太原雪斎が在る。共に学んだ中には甲斐の武田氏の下で活躍した快川紹喜が在る。本作にはこういう人達も登場する…
沢彦は、前任者達が役目を放棄してしまったという、少年時代の信長の教師役に興味を抱き、尾張で本人と出会う。沢彦は、肉親の愛が薄い中で育った少年の優れた資質と、秘めた熱いものに気付き、理想に突き進む男に育てようと考えた。合わせて、天下に号令するという夢を実現出来るかもしれない彼と、共に歩むことを決意した…
やがて沢彦の助言も在って尾張を手中にし、今川義元の侵攻を食い止め、隣国美濃を攻め取り、足利義昭を奉じて上洛を果たした…ということになって…何処かで何かが狂い始めた…
沢彦は「天下布武」の理想に燃えていたのだが、次第にその理想を託した筈だった信長が、何か違う方向に駆けて、誰も御せなくなってしまっていることに気付いたのだ…
信長は一種の天才であったかもしれない…が、その“背骨”を「造る役目を担った者」に関して、多くは語られていない…沢彦は、正しくそういう役目を担った者であろう…
信長は、言わば“勝ち組”であった…が、沢彦はそこに「拭い難い“負”の要素」を見出した…そして“行動”する…こうした辺りに「“勝ち組”を礼賛するだけで本当に善いものだろうか?」という、何か今日的なモノが見え隠れもするような気がする…
非常に愉しく読了した作品であった…正しく「理想の発展と終焉」という感であった…
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