朝の列車で「深めな居眠り」となってしまい、「お客さん…」と起こされたような状況だったにも拘らず、和歌山、堺、大阪で歩いた距離は「通常のX倍」に及ぶことは疑う余地が無く、それ故に眠くもなったのであろう…
実は今23日夕刻、大阪から札幌へ飛ぶ…戯れに“大ワープ”等と呼ぶことがある営みになるのだが…年中静かな街から出て来て方々を訪ね、「少しばかり喧騒に慣れたか?」という中で、安堵するような、残念なような気がしている…
12月22日に関しては、23日の動きに鑑みて「関西圏の未だ訪ねていない、多少興味が在る場所へ」ということを考えた。ぼんやりと頭に浮かんだ候補の中、奈良と和歌山が具体的に浮上したものの、早朝に「奈良方面の列車運行に多少の乱れ」という話しに触れ、また同時に足を踏み入れたホームで“紀州路快速”の案内を耳にしたことで「和歌山…和歌山城!!」ということになったのだった…
和歌山城…公開開始の時間になると、音楽と言うのか、チャイムか、独特な音が鳴り渡る。それをゆっくり聞いて、入場した。地元縁の、甲冑や武具のような「城に似つかわしい…」ようなものが展示されている。
如何にも“見学希望者その1”という風体で、公開前から姿を見せていた私がチャイムを聞いて悠然としているので、「どうしました?」という顔でこちらを伺っていた方や、清掃作業などをされていた方達は作業服姿だったが、一人私服の女性が居た。館内の係りの方だと思ったのだが、最上階に上がった際に居合わせて「天候が好転して善かった」という辺りから言葉を交わした。その方は「和歌山城担当の学芸員」であった…
和歌山城では、天守閣のある辺りに対して、“二の丸”に紀州侯らの居館と領内の事務を取り扱う政庁が入った“御殿”というものが在った。目下、その場所の遺構に関して調査が進行しているのだそうだ…
紀州侯は、今日の和歌山県の他に三重県相当の部分、紀伊半島の沿岸部の殆どを領地としていた。そう言えば、現在の三重県の一部に相当する伊勢の人だった大黒屋光太夫…ロシアへ行ってしまった遭難の際には、紀州侯の御用米が積荷だったという…かの吉村昭の小説に詳しい話しなのだが…
そこの豊かな産物を、川や海の水運で動かしていた訳である。城下の川は内陸のなら方面との種々の交流に活かされたという。家中の武士達が暮らしていたという地域は、官公署やオフィスが入っている建物が目立つ。商人達が暮らしたという地域は今でも「古くからの繁華街」というイメージらしい。城の天守閣から眺めると、蟹料理の店の看板が妙に目だって笑ってしまったのだが、その場所辺りらしい…
和歌山城の旧くからの建築物は戦災で消失しているが、一つ門が残っている。現在は、官公署等も在って、公園が整備されていて広くなっている二の丸側から来訪者の出入りが目立つ感だが、嘗ては現在も残る門の側が“正門”だったそうだ…
和歌山城を訪ねると…「ここは良い所じゃないか!?」という気分が込上げる…今日の場合は、前日から雨だった天候が好転して、殊更に気分が良かったのかもしれないが…
↓整理を試みた和歌山城の写真である…

和歌山に関しては“不便”という話しもあるやに聞いたが…私の目線では「周辺地域で最大の都市から2時間以内」なのは“普通”か“便利”かだと思う…何かで大阪方面を訪ねて時間が在り「折角だから何処か…」という場合、和歌山城は訪問先候補に挙げて善いと思う。
その後の堺の顛末…夕刻に“小休止”した際に或る程度纏めた…
↓存分に撮った路面電車の写真を整理した…

新旧様々な車輌が、路面や専用線の入り混じった場所で走る様は表情豊かだ…「一日のほんの一部の時間を費やした」だけでこれ程色々な表情が見られた。多少驚く…
写真に関しては、作業可能な範囲で順次公開したい…
いよいよ大阪辺りでの時間も「最終日」に入る…
>今回の旅の、リアルタイムに近い動きはこちらに…
この記事へのコメント
玄柊
ここに来て、24日には旭川という行程の謎が解けました。
お元気で帰還を!!
DJ Charlie
御推察のように、“決めた行程”が実質的に無い中、「23日夜の札幌」はハッキリしていたので「24日は?」という思惑を抱いたのでした…
ハプニング…正しくそれでしょうね…薬師寺駅で列車を飛び降りた時は酷く慌てましたね…(苦笑)明日はどうなるのか…