早朝の名古屋を出発し、彦根に寄り、京都に寄り、そのまま京都で夜を明かす…「“目的地”を確定して、ストレートに向かう」のではなく「風任せ」であるが故に生じた事態かもしれない…更に換言するなら、彦根や京都が非常に充実して、また相当に歩いた型なので動きたくなくなったというようなことかもしれない…
「1808年に会津の武士が、何度か生じたロシア船との摩擦に対処する“北方警固”の任務を帯びて稚内へ…」という話しから200年だった2008年、その話しに強い興味を覚えた。「先人の足跡を辿る」と称して会津の人達が稚内にやって来たという話しまで聞き、「では逆に、どんな所から稚内に来たのか、視に行く稚内の人間が居ても構わないであろう…」と会津を訪ねてみた…爾来、かの『会津士魂』を全巻読了するなど、元々好きだった時代小説に更に嵌るということが在った…
そうした中で“井伊直弼関係”の作品も幾分読んでいる。井伊直弼本人が劇中人物として活躍するものも、水戸浪士に討たれる場面が出てくるものも在った。また、井伊直弼が活躍した時代を論じた新書も在った…
↓それらを幾分挙げておく…
>『奸婦にあらず』
>『花の生涯』
>『桜田門外ノ変』(映画と原案小説)
>『井伊直弼の首』
この中、『奸婦にあらず』を読んで“彦根”に強く惹かれ、『花の生涯』で関心が更に深まった…
『奸婦にあらず』では、かの村山たかが、物流や情報の盛んな近江に在って、要人のことを探って各方面へ情報提供を行う、ある種の忍者の一族であるという大胆な面も在るのだが、彦根城下や“埋木舎”を舞台に繊細な、また些か官能的な描写が印象的な作品だ。実は「時代小説??」という友人に勧めたのだが、先方も作品をなかなか気に入ったようだ…
この作品の中で、たかが密かに“埋木舎”を訪ねて井伊直弼と会う場面が在る。そして、彦根井伊家の権威の象徴としての城も描写される…こういうのを読んでいると…「その場を是非!!」という思いが強まる…
実は彦根に関しては、昨年2回通過している…ただその時には上述のような「想いを抱く理由」が薄かった…城のようなもの一般に興味は在るので、彦根城が要衝―京都に近く、街道や琵琶湖を利用した水運が交錯している―である近江北部を領した名門井伊家の居城であること等は知っていたが、それだけだった…その後、彦根城というものが、「天守閣を始め、江戸時代の建築が綺麗に残っている(たったの)12例しか無いものの一つ」であることも知った…
ということで立ち寄った彦根城だが、想像以上に「訪ねる甲斐が在る」ものだった!!
城は“要塞”である。敵軍が城下から進入して攻撃を受けることを想定している。よって、存外に急な丘の上に城は建っている…城の訪問は、そこを上るところから始まる…
その前に、堀と堀の水に映りこむ壁や樹木を愛でるというのも在るのだが、やや急峻な坂道は印象的だ…動き易いシューズを履いて上がった訳だが、昔は草履、草鞋というようなものを履いて上がった訳である…また、建造物を建てるのだから、建材も運んだ訳だ…なかなか大変だ…
そういうことを思い浮かべながら上がったが、自然石を巧みに組み合わせた石垣も見事で、それに苔生している様を見て城が築かれた17世紀からの時間を想った…そして、適度に手入れされた木々も美しい…“銀世界”から辿り着いた私の眼には「未だに一部“紅葉”が観られた」というのは小さな驚きだ…
天守閣…初めて観て、思わず「対面!!」という単語が口を突いた…色々と“想い”が在ったからだ…江戸時代の建築が眼前で、列車に飛行機にまた列車を延々と乗り継いで辿り着いた私を見下ろしているのである。何か城に「その方、西蝦夷地からの長い道中、大儀である…」とでも声を掛けられたような気がした…対して「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます…」とでも応える場面か?
中に入った…現代の建材で階段は補強されているが、構造は江戸時代のままである…その階段…恐ろしく急峻である…上り下りにやや苦戦した…天守閣の中に入る場合には靴を脱ぐ…そしてスリッパが在るのだが、私は足に合わない場合も在るので敢えてスリッパを履かなかったが、そうしておいて善かった…
考えてみると、「天守閣内の階段」は「沢山の人達が快適に通行する」ような筋合いのものではない…例えば「大きな神社の石段」のようなものとは違う…「戦の際に将兵が立て籠もる櫓」の延長線上なのである…彦根城は、大阪城や名古屋城のように「権威の象徴」という要素よりも、「要塞の一部」という実用上の事情で構想された建築物なのだ…
城に関しては、例えば天守閣は「要塞の一部」で、普段から誰かが毎日寝起きしていた訳でもない…城の敷地に居館が設けられる。その居館は、領地に関する政務を行う役所でもあった…
彦根城の場合、城主の居館と政務を行う役所を兼ねた“御殿”と呼ばれた建物は復元されており、博物館になっている。これがなかなか面白かった!!現在は“企画展”として刀が紹介されていた部屋が在ったが、ここには「赤い甲冑に実を包んだ勇敢な将兵」ということで“赤備”(あかぞなえ)として知られた井伊家の甲冑や、大名が嗜んだ能楽や茶道などに関する様々な物が在る…
こうした“御殿”に比較的近い辺りに、立派な庭園“玄宮園”も在った…小さな橋が架かった池と茶室が設けられているのだが、池には天守閣を戴く丘が映り込み、実に美しい!!こういう場所で、城主一家や城主の愛妾達が寛いだり、或いは側近が密談でもしていたのだろうか…色々と想像が膨らむ庭園だった…
↓彦根城、庭園、博物館の写真をまとめてみた…

↑小雨も混じり、やや雲が目立ったが、なかなか佳い色合いの画になった…
そして“埋木舎”である…
城の丘の麓に、文字どおりひっそりと建っていた…
“埋木舎”の時期、恐らく井伊直弼は本人の他、「数名の従僕に数名の侍女」という所帯で暮らしていたのであろう。江戸時代のことなので、“薪割り”までして煮炊きをするので、現代の感覚よりもやや広いかもしれないが、「5名、6名で暮らして丁度良い程度か?」と思わせる家だった…
井伊直弼は居合い抜きが得意で、茶道にも通じていたというが、「この辺りで居合い抜きの練習をしていたか?」とか、「この茶室で茶道の点前を?」とか想像が膨らんだ…或いは小説に長野主膳と文学を語る場面や、たかと密会する場面、また『花の生涯』では三味線を叩き壊す場面も在るのだが、そんな場面を想像しながら様子を見ていた…
↓若干の写真を纏めた…

何か「午前中に少々」のつもりが昼近くまで彦根で愉しく過ごすことになった…彦根からは、とりあえず大阪を越えて山陽道に出る列車に乗った…彦根の天候が今ひとつだったので「それなら列車でどんどん動いておくか…」等と思っていた…
しかし!!天候が好転した!!そこで気が変わって京都で下車である…
京都に関しては…昨年“休館日”だったために行かなかった「梅小路蒸気機関車館」が気になっていた…
↓これは確りと楽しんでしまった…

蒸気機関車…私が幼少の頃、未だ“最後のSL”とも言われた、室蘭本線の貨物列車が岩見沢辺りで見受けられた…(年代がバレる…)
後年知った訳だが、あれはD51だった…線路の幅のことが在るので、「日本で見られる鉄道車輌」としては、多分新幹線車輌の方が大きいのだが…黒い車体からすごい煙と音を出す蒸気機関車を、幼少の頃には「途轍もなく大きなもの」と思っていた…
↓これはC55の動輪…動輪が3組の“C”で始まる番号の型は動輪が大きい…「速度重視」な設計だからである…
ということでSLは好きなのだ!!恐らく日本一多くの種類の蒸気機関車を保管している「梅小路蒸気機関車館」…非常に愉しい!!どちらかと言えば、小さい子どもを連れた家族連れが目立つ場所だが…
京都で「梅小路蒸気機関車館」まで行けば…“島原”が近い!!
↓こんな作品に触れたことが在る…
>『輪違屋糸里』
“糸里”とは“島原”の女性だ…小説は“島原”の女性達と新撰組との物語だ…
ここに出て来る“輪違屋”という場所…現在でも在る!!ということで訪ねてみたかったのだ!!
↓これが“輪違屋”である!!
↑建物は、新撰組の面々が京都に現れる少し前に出来たもので、明治時代の初めに手が入って今日に至っているのだそうだ…
↓辺りの様子である…

↑旧めな家屋が並ぶ、一寸地味な地域である…
この“島原”を訪ねた際…サウナも利用してしまった…
ということで…「名古屋・彦根・京都」と地味な移動だった12月18日だが…内容は異様に濃かった…
こんな「風任せ」…もう少々続ける…
追伸
>ほぼリアルタイムな動きはこちらに…
この記事へのコメント
玄柊
北海道は、少し雪が積もりましたが、今日は晴れています。旅を楽しんでください。体調には気をつけて下さい!!
DJ Charlie
“雪”までは数日間合いが在ります…