>“全ロシア人口調査”(日本で言う“国勢調査”)関係の話題…
ロシアでは、この種の調査は「概ね10年毎」というのが“普通”と考えられているようだ。大統領も大学院生の頃、調査員を経験したそうだが、ロシアの調査は「調査員が戸別訪問して調査票に記入をお願いする」方式のようだ。
10年毎…大らかな感じだ…日本では受け入れられないかもしれない…「街の人口規模」というようなことは、国内外の人を迎えた際に訊ねられることが多いが、逆に他所を訪ねた場面で訊ねることも多い。「都市の規模」を推し量る、何となく判り易い基準が“人口規模”である…が、「日本国内」に関して、“人口”は何となく都市の規模を推し量る基準に止まらない面が在るのかもしれない。それは“地方交付税”というような制度も在るが故だ…
日本の国勢調査では「外国籍の方は国籍を」という欄が調査票に在った。ロシアの場合「民族」というものも在るようだ…
>“調査”と“民族”の話題…
“民族”というのは、“科学”というよりも“自意識”の問題かもしれない。上記の記事では、これまでに確定している訳でもない民族名を名乗る人が在ったり、非ロシア人の両親の下に生まれている人がロシア人を名乗ったりする例が在ると紹介している。更に…“火星人”等と称する人まで在るらしい…
“自意識”が“民族”を規定する側面が在る訳だが、これには複雑な歴史的経過が絡まる場合もある。
今日のロシアだが、これはソ連時代を経てはいるが、“ロシア帝国”の版図のかなりの部分を受け継いでいる。“ロシア帝国”が版図を広げたのは、主に18世紀や19世紀と理解して差し支えないように思える。長い人間の歴史の中では“新しい”部類なのかもしれない。
様々な国々の人が移り住んだ米国は、ある程度“米国人”とか“米国市民”という概念を創り出して定着させたかもしれない。これは「旗の下に集まった」からであろう…対して…“ソ連人”とか“ソ連市民”という概念は“民族”の前に多少弱めだったかもしれない。何故なら「“民族”の“自意識”がそれなりに在る場所に旗を立ててみた」に過ぎないからであろう…
「ソ連の幕引き」という局面の1990年代初頭、「立てて在ったソ連の旗」が“無意味化”してしまったということになり、方々で“民族”の“自意識”が少し強く前面に出た。そこで“連邦構成共和国”と言われていた範囲で“新独立国”が成立した。
“連邦構成共和国”が“新独立国”になり、それぞれに歩み始めようとした他方、“新独立国”の一つということになる“ロシア連邦”には、非常に多くの“自治共和国”が在る。それらは「連邦内の“連邦構成体”」という位置付けになった。
しかし…“民族”の“自意識”が強まっている中で「連邦内の“連邦構成体”」という位置付けに“不納得”で異議申し立てを行う自治共和国が在った。その筆頭で、凄惨な紛争まで起こしたのがチェチェンである…
チェチェンでの“民族”の“自意識”には「歴史の怨念」も絡まってくるので、少々複雑だ…
チェチェンが在るのは、カフカース地域だ。“カフカース”と言うよりも、日本では“コーカサス”と言った方が通りが良いかもしれない。山がちな地域で、様々な民族が住み、各々の文化を培ってきた地域である…
ロシア帝国は、殊に19世紀にカフカースで大いに勢力を拡大した。18世紀末から19世紀中盤に及ぶまで、何度も戦いが繰り広げられ、終にはロシア帝国が地域を参加に収めてしまった…
カフカースと言えば…文学好きな方にあっては、ロシアの詩人レールモントフを思い浮かべるかもしれない。カフカース地域に足跡を遺しており、彼の地での経験が作品群にも活きていると言われている。レールモントフは「危険な思想の持ち主?」とされ、“左遷”のような具合でカフカースに送り込まれた経過が在る。丁度、かれが生きた19世紀の第2四半期辺りは、ロシア帝国が各地で戦っていた時期である…
チェチェンは、“正教”(キリスト教)ではなく“イスラム教”が広く普及している社会で、ロシアとは明確に異質で、永く独自に歩んできた経過が在る。彼らにとって、ロシアは“征服者”だった…帝国がソ連に変わっても、それは彼らの“自意識”の中では何ら変わらない…「ソ連の幕引き」という局面は、彼らにしてみれば「“征服者”が自壊した」という話しである。従って「“征服者”が居なくなった以上、チェチェンは旧に復する=純粋な独立国になる」ということになる。
チェチェンでは1991年頃から“独立”が叫ばれていたが、ロシアはそれを容れず、1994年には武力衝突が始まった。これが1996年まで継続し、後年「第1次チェチェン紛争」と呼ばれることになる。
「第1次チェチェン紛争」では、ロシア軍はかなり苦戦したようだ。「ロシア側が不慣れな山岳地域に踏み込んだところをチェチェン側が襲う」というのが典型的なパターンだったようだ。互いに人質を取っての小競り合いが際限なく繰り返され、犠牲も拡大した…この戦いの“大局”が判る訳でもないが、「戦いの情景」のようなものがよく伝えられているのが映画『コーカサスの虜
犠牲が拡大した「第1次チェチェン紛争」は停戦に至ったのだが、チェチェンの“独立”は果たされず終いだった。強硬な過激派は、これを不服としてロシアに対して“テロ攻撃”に出始めた…
1999年…相次ぐテロ事件に業を煮やしたロシアが軍事行動を始めた…後に「第2次チェチェン紛争」と呼ばれる戦いだが、2009年にロシアが安定したと宣言するまでの10年間にも及んでいる…
紛争での戦闘は凄惨を極め、大変な犠牲が払われたが、他方でロシアでの“テロ事件”も連発した…
そんな事件の一つに着想を得たらしい“アクション映画”まで存在する…
大統領のカウントダウン
飽くまで「ロシアのアクション映画!?」と愉しく観れば良い作品だが…映画は、チェチェンのテロリストの陰謀に嵌ったロシアの特殊部隊将校が、名誉挽回のために彼らや黒幕と戦うという内容である。が、“劇中の事件”は“実際に在ったもの”を想起させるに充分である…
チェチェンの紛争だが、結局“独立”は排された他方、ロシアによる支配を“バック”に勢力を伸張する派と、それ以外の派との対立のような別な要素も入り込み、チェチェンの問題は“複雑化”してきた面も在る…
>昨日の事件…
そういう中、昨日も事件が発生し、とりあえずは一件が段落した様子ではある…今後も、様子に注目したいと思う…
ところで…このチェチェンのような地域では、“全ロシア人口調査”はどういう具合に進むのだろうか?
☆参考
BBC News - Regions and territories: Chechnya (英語)
追伸
本文で映画も話題にしたが、ニキータ・ミハルコフ監督による『12人の怒れる男』にもチェチェンの描写が在る…
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