>ロシア正教総主教 サハリン初訪問 北方領土は悪天で見送り(09/21 北海道新聞)
“総主教”というのは、ロシア正教のトップである。その方がサハリン州へやって来て、滞在期間中に国後、択捉、色丹訪問を計画したそうだが、“天候”で訪問を見合わせたのだそうだ…日本では、“要人”と“北方領土”が絡まれば、場合によってロシア国内以上に大袈裟に報じられる場合さえ在るかもしれない…
“宗派”の名前としては“正教”が正しいのだが、ロシアでのそれに関しては“教会組織”である“ロシア正教会”と半ば混同されて、日本では「ロシア正教」と呼ばれる。ロシアで主流を占めていると見受けられるキリスト教の一派である…(以降、「最も判り易い」と見受けられるので“ロシア正教”とさせて頂く…)
ロシア正教は、公式的には西暦988年からロシアでの歴史を歩み始めている…988年、キエフ大公ウラジーミル1世が東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の皇帝バシレイオス2世の妹アンナを妃とし、公式に東ローマ帝国の国教である正教会の洗礼を受けた時から始まるとされているのである。
キリスト教は、「ローマ帝国の国教」ということになった。その後、ローマ帝国が東西に分かれた。“西”でのキリスト教が後の“カトリック”の基礎となっている。(かなり時代が下って、そこから“プロテスタント”等が色々と発生している…)“東”でのキリスト教は“正教”となった。
ロシア正教も含め、「○○正教会」という教会組織を持ち、「○○正教」等と日本で呼び習わされる“正教”は各地で見受けられる。ルーマニアやらセルビアやら、欧州のやや南東で多いような気がするのだが、それも無理からぬことである。正教を国教にしていた“東”の帝都コンスタンチノープルは、今日のトルコのイスタンブールだった。(FIBA2010が記憶に新しいが…)そこから各地への布教も行われていた。であれば、今日の“正教”の地理的分布も、何となく判り易いような気がしてくるというものだ…
ロシア正教は、“東”との関係強化を目論んだ、ロシアの起源とされている“ルーシ”の支配階級が入信したことをもって起源とされてはいるのだが、“東”による布教の努力も在った…ロシアで使う文字を“キリル文字”と呼ぶ場合がある。これは“キリーロス”という布教者に因んでいる。今日使用されているロシア語の文字は、ロシア革命以降に整理されたものだが、それ以前はピョートル大帝の活字が基礎になっていて、そのまた以前は“東”の布教者が聖書の言葉をロシア人達が使っていたスラブ系言語―多分、現在のロシア語とは様子が異なる古語…故に「スラブ系言語」等と呼ばせて頂いた…―に翻訳して伝えようとした際に編み出した代物だったのだ…
帝都コンスタンチノープルは帝国が瓦解してしまった後、イスラム教を奉じるトルコの帝都に様変わりし、イスタンブールと改名してしまった。各地に拡がっていた正教は、各々に「○○正教」という歩みを始める…
ロシアに在っても、“タタールの頸木”と呼ばれる東方からの侵出に苦しんだ時代を経て、モスクワ大公が実力を蓄え、やがて混迷の後にロマノフ朝が登場するに至る経過の中で正教会も各地に根を下ろして発展し続けていた…
そんなロシア正教だが、ロシア革命後のソ連時代は不遇だった。政権党である共産党が宗教を敵視したという話しも在るが、実際には国の隅々の村落に至るまで根を下ろし、一声掛ければ寄進が在ったり、勤労奉仕に名乗りを上げる人が大勢居るという教会の存在が、政権にとって“邪魔”だったので排斥された…というのが、より真実に近いのであろう…
そしてそのソ連時代が幕を下ろすと…ロシア正教は俄かに“復権”する…各地で教会が補修されたり、再建されたり、新設されたりと賑やかになった…大統領就任式にもロシア正教的なセレモニーが容れられ、指導者達も信者で在るという所作を堂々とする―“共産党側”以外の何者でもない、KGBの将校であった首相(前大統領)さえ例に漏れない…―し、正教会トップの総主教が逝去すれば“国葬”である…
話しをサハリンに戻す…
サハリンには、殊に1945年から1946年以降にソ連が支配していた“南樺太”では、ロシア正教の教会など長く無かった…しかし、1990年代半ば辺りから方々に新設され始めている…
サハリンの南部だが、一部にやや記録が曖昧な地域も在るものの、ロシア人の足跡も19世紀以降に結構残っている…或いは、その時代には村落に素朴な教会は在ったであろう。しかし…今日のサハリンの都市は、その多くが後年に日本人が築いた都市を基盤にしているので、多くは“新設”で間違いない…
サハリンを訪ねて、このロシア正教関係の建築を眺めるのは、存外に愉しいと思う。独特な様式の建築だ…
(ユジノサハリンスク)
最も著名なのは、ユジノサハリンスクに在る、地域の正教会の中心となっている聖堂であろう…が、寧ろそれ以外のものを眺める方が面白いかもしれない…多くは、ロシア人が漠然と憧れるような「旧い時代の精神世界」を体現したかのような、木造風の外観であったりする…
(コルサコフ)
日本では、正面切って“宗教”は語られないかもしれない。これは何処の国でも同じである。しかし…多くの国で、日本の村落に神社や寺院が自然に在るように、教会のようなものが存在している…ロシアは、「理屈と都合」でそれを大っぴらに容認しないようなことをしてきたが、最近はそれを止めている…そういう意味でも“普通”になっているのかもしれない…
ところで…“領事館”と言えば、領事以下の各スタッフの他、館員の食事等を担当する調理人や、健康管理を担当する医師などが居る様子は想像に難くない…が、「僧侶が居る」とか「神主が居る」という様子が想像し難い…
と思うのだが、幕末期にロシアが箱館に初めて領事館を開いた頃、彼らは一寸違った…ロシア正教の司祭がやって来ていた…それが、かのニコライである…領事館は、自国出身の人間が管轄地域で他界したような場合、死後の始末をしなければならない訳だが、ロシア人にとってはロシア正教の司祭がそういう場面で必要であったのだろう…また、館員の日常の中でも不可欠だったのだと考えられる…(尤も、今日の各国のロシア領事館は、日本のそれと同様で、宗教関係者等居ないであろう…)
(東京)
かつては、開設したばかりの遠国の領事館にまで司祭がやって来る程に深く浸透していたロシア正教…或いは今、「“光”を全土に…」とばかりに、活動を積極化、活発化しているのかもしれない…記事冒頭に掲げたニュースを見て、そんなことを思うのであった…
>Collection: Voyage : SEP 2010 (Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on Sakhalin, Russia)
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