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最近は世の中のテンポが速い。
6月17日に発売になった忌野清志郎の『Oh!RADIO』が既にカラオケに入っていた…歌いこなすには、多少の練習も必要だが…
この『Oh!RADIO』の歌詞に「まんまあの頃が甦るナンバー」というのがある。この歌詞…個人的にはかなり心に響く…
「まんまあの頃が甦るナンバー」と聞けば、私は「1993年から1994年に掛けて、殆ど毎日モスクワのラジオで聴いたあの曲」を思い出さずには居られない…
「1993年から1994年に掛けて、殆ど毎日モスクワのラジオで聴いたあの曲」とは、当時のロシアのヒット曲『Тутанхамон』(トゥタンハモン=“ツタンカーメン”のこと)に他ならない…
『Тутанхамон』(トゥタンハモン)の歌と演奏は“ナウチールス・ポンピリウス”というグループである。確かこれは海洋生物の学名だった筈だが、彼らのグループ名は“Nautilus pompilius”と綴るのが正しいようだ。ロシア国内ではロシアのアルファベットで“Наутилус Помпилиус”と綴ることも多い。私は当初は後者のロシアのアルファベットで記憶し、後に普通のアルファベットの方が寧ろオリジナルであることを知った…
「“ナウチールス・ポンピリウス”とは何か?」という問いへの端的な回答…一般的には「ソ連時代に最も人気が高かったロックグループの一つ」ということになるであろう。私個人にとっては「“まんまあの頃が甦るナンバー”を多く送り出したアーティスト」いうことになる…
1993年の9月から1994年の6月まで、私はモスクワに滞在していた。私が在留した“資格”は「ソ連政府奨学金留学生」であった…
本来は1991年9月にモスクワ入りの筈であったが、ロシアの用語で“国家非常事態委員会事件”という「ゴルバチョフ大統領が軟禁されたクーデター騒ぎ」が8月に発生し、12月にソ連が赤旗を下ろすに至った混乱の中で渡航に必要な査証が取得出来なかった。文部省(当時)や外務省というような関係機関は、正式に案件の“中止”を発表していなかったが、一部メディアは勝手に“中止”と言い立てるなどしていた…
それが1993年になり、漸く私の査証取得が可能な状況になった…どうも1991年9月からの留学を予定していたグループでは、私が最後の最後だったらしい…従って、私は「最後のソ連政府奨学金留学生」ということになる…
その「最後のソ連政府奨学金留学生」としてモスクワへ旅立つ少し前、店の場所や名前は忘れてしまったが、東京の秋葉原で小さなラジオを求めた。ラジオは今でも拙宅に在り、時々使用しているのだが…あの小さなラジオは、モスクワの地下鉄環状線駅から程近い、建物が中途半端に集まっている場所に在った、私が住んでいた部屋で様々な電波を捉えていた。その電波に乗って届いた音楽…色々在ったが、その中で殊更に懐かしい響きが在り、今でも入手した音源で愉しんでいるのが『Тутанхамон』(トゥタンハモン)である。
『Тутанхамон』(トゥタンハモン)は、当時のラジオ各局では“へヴィーローテーション”だった。殆ど毎日耳にした…
「最後のソ連政府奨学金留学生」だった私は「ソ連時代に最も人気が高かったロックグループの一つ」の、“後期の名作”に正しく“リアルタイム”で出くわした訳である…

(Charlie at Wakkanai)
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