新千年紀を経て、新世紀に突入しようとしていた。
新しくなった議事堂を見学に行った帰り道、広場状になっていて人が自由に往来していた場所に、何やら線が引いてあるのを見かけた。何の線なのか、それに沿って歩いてみると「ベルリンの壁」というプレートが埋め込まれていた。
というように、20世紀の出来事が“眼前の現実”から“歴史”になろうとしていた。こうした雰囲気の世紀の変わり目に、ベルリンに対面したかった。
2000年の末にドイツへ真直ぐと飛ぶ術を見出そうとしたが、混雑で航空券は厳しいキャンセル待ちであり、価格も少し高めであった。ところが、「北米大陸を経て―太平洋を越えてから大西洋を越える…―型」であれば、真直ぐ欧州へ向かう航空券より若干安く、しかも空席が見付かった!これを利用しない手はない。2000年12月29日夜に稚内を発ち、東京、シカゴを経て、フランクフルトに着いたのは2000年12月31日の早朝…実に長い旅だった…何か「そう言えば…機内で提供されるものしか食べていないのでは?」という状態で旅をしてドイツに入ったのだった…
ICEの車窓でドイツの初日の出を楽しみながら、前夜の後始末をしていたベルリンへやって来た。
(2001年撮影)
当時のベルリンで一寸話題になっていた様子だったのは、<壁>の跡で建設が進んでいた商業施設などが完成したということだった。ベルリンを分断していた大掛かりな構築物が撤去されてしまえば、そこには巨大な遊休地が発生する。これを巧く利用することはベルリンの課題として急浮上し、様々なものの建設に着手された。
こうしたものの中で、殊に著名なソニーセンターを訪れた。SFに出て来る宇宙空間の人口天体―例えば『機動戦士ガンダム』の“スペースコロニー”のようなもの…―に建設された都市が地上に現れたような、不思議な様相だった。前年の同時期には見られなかった積雪もあり、気温は0℃を挟んで推移する程度だったが、そこに集う人々の熱気が溢れ、厳重に管理しているものと推察されるが、植え込みの緑も眩しい。
(2001年撮影)
都市の規模を考える場合、自治体としての○○市に実際に住んでいる“定住人口”で考える場合も多いが、様々な活動に関して考えるならば、周辺の町との間を往来する人々も考慮に入れるような“交流人口”で考えた方が実態に即している。その“交流人口”で考えても、「ドイツの大都市」と言われるフランクフルト、ハンブルグ、ミュンヘンなどは200万人規模であろう。ところがベルリンは700万規模になるのである。大型商業施設を立ち上げるには絶好の場所ということになる。
何やら凄いものが出来たと愕きながら街を歩いていると、前年には一寸した緑地になっていた場所で何かの建物を建てる工事が始まっていたりした。ベルリンの建設ラッシュは未だに止まらない…
(2001年撮影)
新しい世紀を迎え、依然としてエネルギーを発散するように変わり行く新首都は、どのような21世紀を紡ぐのであろうか。更なる興味を掻き立てられつつ、南ドイツの古都へとベルリンを辞去した…
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