連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―3 1999年のベルリン

人気ブログランキングへ

<壁>というものがベルリンに存在していたことを、私自身は知識としてしか知らない…

初めてベルリンを訪ねたのは1996年で、<壁>が撤去されて久しい時期に入っていた。流行の音楽や映画ではないので、こういう表現が妥当か否かは疑問だが、私は言わば「壁を知らない世代」に属すると思われる。

b908.jpg
(1999年撮影)

<壁>のような街の中の構築物は、老若男女を問わず向き合わされるものであり、それを知っているかいないかを世代で語るのは、些か妙な感じもしないではない。

ただ、例えば蒸気機関車のようなものや、現存しない会社のマークのようなものであれば、それを「覚えているか?覚えていないか?」で一種の“世代論”もあり得るだろう。<壁>について、敢えて世代的な語り方をするなら、それは「壁が象徴した一時代との関わり方」というような話しになるような感じがする…

実は1999年をフランクフルトのホテルで迎えた。<壁>が象徴していたものの一つであった“東西対立”が乗り越えられ、欧州連合による欧州の統合が進み、共通通貨ユーロ-独語ではオイロ…が登場―「現金の流通」は2002年だが…―したというのが1990年代の凄まじい勢いの流れであり、そうした中で希望の多い新千年紀を迎え、新世紀に流れ込もうというのが当時の空気だったような気がしている…

と考え、私はとにかくも2000年をベルリンで迎えようと企てた。他方、この数年の“首都ベルリン”という動きを踏まえたものとして、ベルリンの旧帝国議会議事堂が、ドイツ連邦共和国連邦議会議事堂として新生したとの報があったのも1999年だった。

更に1999年は、コンピュータの日付関係のプログラムが、年号の“99”から“00”へ切り替わることを巧くコントロール出来ず、とんでもない混乱が起こる事態が危惧された。<2000年問題>である。

旅の前半では議事堂を見学し、旅の締め括りはベルリンでの新年ということにして旅立った。ベルリンへは、旅行期間中2度立ち寄ることになる。この時の旅行から、インターネットを少々利用しつつ、訪問予定地の情報収集などもするようになった。この時はベルリンの議事堂についてなど、色々と調べた…

b902bundes.jpg
(1999年撮影)

建物の天井をドーム状にするものが欧州の建築では多く見受けられる。これは、何か「天の下に人々が集う場」であることを象徴するように見受けられるが、連邦議会議事堂は、昔は石造りだったドームを硝子のものにしている。これには、「開かれた欧州の開かれたドイツで、開かれた空の下に国民の代表が集う」というような願いが込められているように見受けられた。朝の見学開始時間を目掛けて訪ねたが、世界中からの来訪者であっという間に長蛇の列が出来、見学を終えて帰る頃には随分と込み合っていた…

12月31日は、007の『ワールドイズノットイナフ』をベルリンの映画館に入って“独語吹き替え”で観るという間の抜けたこともしたが、新千年紀前夜に沸き返る街へ繰り出した。とんでもなく通行規制がなされ、30分も掛からずに歩ける場所が、大きく迂回で3時間を要する羽目に陥った。所構わず花火が鳴らされ、音楽イベントなどの照明が華々しく、スパークリングワインやビールが酌み交わされていた街の空気を堪能した…

ホテルの部屋に用意しておいたスパークリングワインを一人で1.5Lもがぶ飲みし、風呂に浸かって死んだように眠った…目覚めて窓の外を覗くと、Sバーンの電車が正常に動いていた…<2000年問題>は大きな問題にならなかったのだ…

b903sieged.jpg
(1999年撮影)

<2000年問題>は、人間が築いた便利な文明が、それを創った人間に牙を剥くような話しであった。苦労があって、長い時間も要して乗り越えた“東西対立”もまた、人間が造ったものと人間が造ったものとのぶつかり合いだった…そうしたものを乗り越えた所に辿り付けたというような空気で、2000年は始まった。

「今を生きる者達に幸いあれ!」という感じである。

そんなことを思いながら、前夜に出たゴミの山に辟易し、スパークリングワインを呑み過ぎてしまったフラフラの状態でベルリンを辞去した…

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

『音の惑星』 on the web... MailMag. edit. バックナンバー





耳に残るあの曲。いますぐiTunesでダウンロードしよう。

HMVトップページ

@TOWER.JP


国内工場直販サプリメントダイレクト






ANAで行く国内旅行

ANAで行く海外旅行

この記事へのコメント