連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―2 1998年のベルリン

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1997年には大欧州漂泊の機会は得たものの、ドイツへは全く立ち寄らず、ルーマニアとスコットランドを訪ねた。他方1998年は「ドイツを発着する飛行機で旅に出るが、ルーマニアとロシアへも足を延ばす…」と「何処へ何をしに出掛けるのか判らない」ような状況で出発した。

実際この年は、5月頃から12月まで、連日朝の6時台から夜の11時台まで書き物をしていたため、何もかも投げ捨てて、あても無く彷徨してみたかった。他方でロシアもご無沙汰しているし、ルーマニアの知人にも会いに行きたいしと、欲張りな願いが頭を擡げる。

最初はルーマニアとフランクフルトを往復し、ドイツを北東へ進みがてらロシアを目指し、またフランクフルトに戻るという強引な案を思い描き、年次休暇を殆ど纏めて取得し、12月8日に勝手に“御用納め”をしてしまい、旅立った…

フランクフルトからミュンヘンを経て、夜行列車でベルリンに入った。ベルリンから先はリューベックに寄ってキールに出て、バルト海を船で横断してリトアニアへ渡るという型だった…

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(1998年撮影)

ベルリンには、初対面の時の「建設現場的な雑然とした雰囲気」は薄くなっていることに気付いた。改装中という雰囲気だった街中のSバーン駅も、普通な状態に仕上がっていた。だが、出来上がったと見られるものから少しずれた辺りで、別な建設工事が行われていた…

初めての時は敢えて訪ねなかったテレビ塔へも足を運び、拡がる街を鳥瞰してみた。旧、新、最新が折り重なったような独特な街が大きな範囲に拡がっていた…

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(1998年撮影)

分断都市という特異な状況を脱し、新しい首都になったという複雑な歴史の原因の一つに、第2次大戦を挙げなければならない。

第2次大戦の頃、戦況が悪くなるに連れて苛烈さを増したとも伝えられるユダヤ人の迫害が行われていた。実はこのベルリンの直ぐ近くに、それが行われていた現場の一つである収容所の跡がある。ザクセンハウゼンである。ザクセンハウゼンは、ベルリンの都心から1時間程度のオラニエンブルグの街外れにある…巨大都市の喧騒が嘘のような、荒涼とした車窓に続いてこじんまりした街に着き、20分程度歩く…

旧、新、最新が折り重なるベルリンが向き合っている過去の重みを思い知った訪問となった…

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(1998年撮影)

その重みの意味を考えながら、北ドイツの古都へ向かってベルリンを辞去した…

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