連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―1 1996年のベルリン

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初めてベルリンを訪ねたのは、1996年の10月ということになる。この年の旅は、9月にスコットランドを訪ねる機会を得た後、10月に大欧州漂泊の機会を得た…

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(1996年撮影)

コペンハーゲンで欧州入りし、コペンハーゲンから帰国する型とした。最初はリトアニアのヴィリニュスへコペンハーゲンから飛び、ヴィリニュスから戻って各地を列車などで訪ねる型とした。今となっては、欧州で全く足を踏み入れたことがない国や地域を挙げた方が早いような感じ―それでも存外多い…―もするが、当時は未踏国ばかりであった。1994年頃から欧州を盛んに歩くようになり、その時点まででドイツはハンブルグとキールに立ち寄った位だった。ベルリンは未だ見たことがなかった。聞いたことがある話しで、頭の中は溢れんばかりになっていたが、現場は全く知らない…

20世紀後半の国際関係を特徴付けた感もある“東西対立”の前線、或いは象徴という感の<壁>が、東ドイツ政府の路線変更で無意味化し、「こんなものは壊してしまえ!」という熱狂に沸き上がり、実際に取り壊しが決定したのは1989年で、1991年には“統一ドイツ”となり、丁度この1996年頃にはベルリンが新首都に決まった。

コペンハーゲンを少し北上し、フェリーでスカンジナビア半島とコペンハーゲンがある島で形成する海峡の一番狭い部分を越え、スウェーデン南部では一番大きな街ということになるマルメーに寄ってベルリンへ向かう列車に乗った。少し込み合っていた座席指定で、客車ごとフェリーに積み込まれ、北天の星々に見守られながらドイツに上陸した辺りで、緑系の制服に身を固めて腰からトランシーバーをぶら下げた係官が現れ、パスポートにスタンプを押してもらい、薄暗い北東ドイツをベルリンへ向かった。その間、転寝気分で、時々目を醒ましてはベルリンの経過を思い起こしていた…

東ドイツ時代の名残で、“ハウプトバーンホフ”(中央駅)となっていた、その後のオストバーンホフ(東駅)に列車は着いた。丁度東の空が明るくなり始める頃合だった。眼前に浮かぶのは、所々に建設工事のクレーンが見え隠れする巨大都市だった。東ドイツ時代にソ連軍が駐留した名残か、ソ連軍グッズのようなものも道端で随分売られていた。と思えば、分別を前提にしたごみ収集所が見受けられるなど、こうした環境分野で取り沙汰されるドイツへ来たことも実感した。

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(1996年撮影)

そうしたドイツの巨大都市に辿りついたという感覚を怪しくしてくれたのは、名所ジーゲスゾイレの近くに広がっていた森のような公園だった。それを包み込む巨大な都市というものは、ある種“一つの王国”のような感じさえする。

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(1996年撮影)

何処もかしこも工事中のような雰囲気で、少し汚い古い駅も改装中で、森の側で建設中の都市に足を踏み入れたような感覚がした。そして、この後の展開を見届けなければならないという思いと、遥か1万キロ彼方から私を引き寄せるような、何らかの発散されるものを感じ、私は「方々見たい!」という欲張りな予定で慌しくベルリンを辞去した。

これが私に取っての、ベルリンとの初対面であった。

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