連載:『伯林(ベルリン)の風景―旅の記憶を…』―序

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80年代のドイツのヒットソング『99 Luftballons』に関することを綴っていて、妙にベルリンのことが気になった。

ベルリンに関しては、90年代に“大欧州漂泊”などと称して欧州で鉄道旅行をした際、何度も立ち寄った経過がある…何か気になる場所だったのだ…

“中世の街”などという言葉が、存外安易に用いられている。「中世とは何なのか」というのは、実は恐ろしく難しい問題なので、この種の言葉を見かけると抵抗感を覚えてしまう。が、使用される文脈を考えると「欧州の古色蒼然とした、古い建物などが多く残る街並みがある場所」という意味合いで用いられている様子だ。

そういうことであれば、20世紀の2回の世界大戦で主戦場になって―殊に第2次大戦では激しい空爆に曝された…―いながら、戦禍を免れたり、或いは街の人たちの想像を超えるような努力で再建がなされた“中世の街”が多く見られるのがドイツである。ドイツを訪ねる人たちが期待するものの大きな部分を、こうしたものに触れたいという思いが占めているであろうことは想像に難くない。

こうした期待でベルリンを訪ねるという方がもしあれば、私は直ちに「止めておいた方が良い!」と僭越ながら助言させていただく。何故なら、ベルリンにはそうしたものが期待出来ないからである。それ以上でも以下でも無い。

例えば、国王のような力を持った存在が「この地に都市を建設せよ!」とでも命じ、「この都市を○○と命名しよう!」というようなことでもやり、それが行われた年代が何かに記録されているのであれば、かなりの確信を持って「○○の街はXXXX年に開かれ、今年は開基XXX年を祝おう!」という話しにもなるのであろう。しかしそれは寧ろ“例外”で、多くの都市の場合はそうではないと見受けられる。何かの記録で名前が登場しているとか、北海道の街などでは初めて役場が設置されたというようなことまである位で、便宜的に開基時期を決めているに過ぎない例が世界中に溢れている。

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ベルリンもそうした多数派の例にもれていない。

ベルリンの生誕年には二つの説があり、その古い方である1237年が採用されているようである。ベルリンと言えば、1989年11月まで存在した<壁>によって東西に分断されていた街という印象が強い。が、その起源にあっても、街道と川が交わる辺りの両岸に曖昧な型で発生していった双子の集落だったと伝えられている。今日の姿からは想像だに出来ないが、河岸地帯は漁村を形成しており、食料となる魚を供給していたという。双子の集落は、渾然一体となった双子都市となり、そのまま発展を続け、やがてベルリンの街となって行くのである。

欧州の都市の経過を考える中で、欧州の封建制度の雰囲気が判らないと、話しが見えないことがある。封建制度の中では、領地、点在する都市、そこから徴税する権利や警察権や司法権などのあらゆるものが、領主個人または領主の家の財産と考えられる。だから領主Aの公認を受けて自治権を行使していた都市も、ある時Aの様々な都合で別な領主Bの傘下に組み込まれるということはよくあったのである。ベルリンを含む一体は、“神聖ローマ帝国”という欧州を覆った封建秩序の中で<ブランデンブルグ辺境伯領>と位置付けられ、様々な事情で“辺境伯”の爵位が家から家に移る都度、都市ベルリンの権利や義務を規定する事情は変わっていった。

“神聖ローマ帝国”は頂点に皇帝をいただく型となっている。長い間、オーストリアのハプスブルグ家がこの地位を世襲していたが、原則論としては、“選帝侯”と呼ばれる権門の投票によって選出されることになっていた。その“選帝侯”のホーエンツォレルン家が15世紀になって“辺境伯”の爵位を手にするようになると、ベルリンは彼らが居城を構える場所となる。ホーエンツォレルン家の君主と街の人たちとの摩擦もあったようだが、以降、ベルリンは一地方都市から領邦の首都という立場になり、発展して行く。

それ以降の経過は、ご案内のとおりである。ホーエンツォレルン家はやがてプロイセン王国の王家となり、プロイセンがドイツ統一の母胎となってホーエンツォレルン家の君主がドイツ皇帝となると、ベルリンは帝国の都となった。若き日の森鴎外など、先進科学を学ぶべく渡欧した明治の先人達は、この帝都となった“伯林”と邂逅している。そして第2次大戦の激しい戦禍があり、<壁>による分断を経験する羽目に陥る。

現在のベルリンは、“<壁>があった場所”という空間を孕み、同時に統一されたドイツの新首都としての機能が立地することを求められる、「何かの力が蠢く場所」という様相を呈している。

私自身がベルリンを初めて訪ねたのは、新首都に確定して日が浅かった1996年のことであった。どんどん大きな存在感を示すべき位置に押し上げられ、建設と破壊が繰り返されたベルリンは、或る意味では「まだまだ発展途上」だったのかもしれない。そういう訳で、訪ねる都度に位置を少しずつずらして建設ラッシュが続く状況も「そういうもの…」という感じになっていたのかもしれない。

そして私は気付く。こういう街を訪ねる都度、頭の中で「帰って来たぞ!」と反芻している自分にである。そして…そういうことをする機会を逸し続けて、意外に長く経ってしまったことに気づく昨今である…

そんな訳で、旧い記録を改めて整理してみたいなどと、『99 Luftballons』に関することを綴っていた時に思い付いたのだ…

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